他方で、いわゆる「同棲」には、実は大きな経済的メリットがある。生活にも「規模の経済」が働くから、一緒に住むと1人当たりの生活コストが低下するし、何よりもパートナーと同居して暮らすことは大いに楽しい。そして、このメリットを得るために、結婚は必要条件ではない。
しかも、パートナーとの関係は、さまざまな事情で永続的に良好であるとは限らない。その場合、結婚が介在していると、「離婚」に大いに時間・金銭・精神のコストを要する。
人はしばしば特定の相手を確保する目的で「結婚」というカードを切るものだ。だが、甘美だった「永遠」にも意外に早く賞味期限が訪れる。結婚までしたのは「やりすぎだった」とわかることが少なくない。結婚は、恋愛がバブルに達したときに生じる「史上最高値」のようなものなのだ。
それでも、子供をもちたいと思うと、両親が結婚した状態でそろっているほうが「子供にとって」世間体がよかろうという考慮が生じる。この世間体に対する感覚はなかなかに強力だ。
同棲しているカップルが子供を育てるのと、結婚しているカップルが子供を育てるのとで、経済的な負担は変わらないはずだ。しかし、子供が生まれるなら入籍しようと考えるカップルは少なくない。
だが、本当にそれは必要なのか。そう思い込んでいるだけではないのか。
「1度は結婚したいはず」はもう通用しない
これまではといえば、大人からは、結婚しない若者に対して「1度は結婚したいだろうに、これまで縁がなかったのかもしれないし、昨今では結婚できるだけの経済力がないから可哀想だ」と、やや上から目線で同情してみせるのが定番だった。
そして、少子化対策として挙げられるのは、非正規労働者の待遇改善や「街の合コン」のような、「独身者は結婚したいと思っていて当然だ」との前提からスタートする、効果が直接的ではない施策ばかりだった。
しかし、SNSやマッチングアプリなど、大人たちが思うよりも出会いの場はある。次に見える問題は結婚が魅力的でないことであり、そしてあとに控える真の問題は、子供をもつことの非経済性だ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら