東京都内が「安倍晋三元総理の国葬」で厳戒態勢にあった9月27日、筆者は日本国際貿易促進協会(国貿促)の「日中国交正常化50周年記念シンポジウム」にパネリストとして登壇していた。
テーマは「日中経済の新動向とグローバルサプライチェーンの再編」。フォーシーズンズホテル東京大手町の会場は、300人を超える参加者で満席だった。
てなことをご紹介すると、さる筋の人たちからは「当節、不届きな親中派の一味」と思われてしまうかもしれない。そうは言っても、日中関係は重要である。なにしろ日中両国は、お互いに引っ越しができない間柄。そして日本は、安全保障面でアメリカと同盟関係にありつつも、経済面では中国の力を最大限引き出さねばならない立場である。この難しさは、中国ビジネスに携わっている最前線の人たちがもっともよく理解していると思う。
ほかならぬ国貿促の河野洋平会長が、国葬に出席されていたためにシンポジウムの閉会式に間に合わなかった、というあたりも、昨今の日中関係のビミョーさを反映しているように感じられた。
以下はその日の討議を振り返りつつ、米中2大強国の狭間で生きていかねばならない日本と日本企業の今後についてのささやかな試論である。
「国境なき経済」が加速するはずだったが・・・
かつて「ボーダーレス・エコノミー」(国境なき経済)という言葉があった。と言うと個人的には、若き日の大前研一さんの姿が懐かしく思い浮かぶが、「21世紀には『国境なき経済』の時代が到来する」と考えられていた時期があった。
とくに1991年12月にソ連が崩壊したときは、「ああ、これで本当に冷戦が終わった」という安堵感は深かった。これから先、各国は軍備を削減して「平和の配当」を享受するだろう。そうなれば、民間部門に回るお金が増えることになる。防衛産業はハイテク産業への転身を図るしかなく、実際にシリコンバレーは驚異的な発展を遂げることになる。
1993年にはウルグアイラウンドが妥結して、貿易紛争処理のためのWTO(世界貿易機関)という機関も誕生した。アメリカのシアトルで初めて行われたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議も忘れがたい。貿易自由化の進展は目覚ましかった。同時に世界的に行革・規制緩和が進んでいたから、これから政府の役割は確実に減っていくはずであった。加えて折からの「IT革命」が、国境を超えることのコストを下げ、世界経済の生産性を高めていた。
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