ところが面白いことに、米中貿易はなおも伸び続けている。つまりワシントンDCがいかに旗を振っても、ウォールストリートやシリコンバレーは容易に言うことを聞かないのだ。アメリカ企業はもちろん法律には従うけれども、政府に対して決して従順ではない。
似たようなことは、北京政府と中国企業の間にも一定程度はあるのではないか。米中の企業はすでにさまざまなアライアンスを組んでいて、隙あらば儲け話に食いつこうとする。「米中デカップリング」と言われつつも、実態面がなかなか追いついていないのは、米中双方に意外な類似性、もしくは対称性があるからではないかと思う。
アメリカや中国の企業のように、図太くあれ
問題は日本企業である。今日のような「ボーダフル・エコノミー」においては、企業は純粋な市場原理に基づいて最適立地で投資決断、というわけにはいかなくなった。「半導体はなるべく国産」であることが望ましいし、「それが無理でも、せめてサプライチェーンは確実なものに」と考えねばならない。つまり「経済安全保障」に配慮せねばならない。
ただしここで忘れちゃいけないのは、「あくまでも基本は自由貿易である」ということだ。もしも日本に「核心的利益」というものがあるとしたら、それはおそらく自由貿易である。エネルギーも食料も他国に依存して、工業製品を売ることで生計を立てている日本経済にとって、これほど重要な原則はない。
ところが困ったことに、自由貿易は「相手あってのこと」である。日米間だって、過去には幾多の貿易摩擦問題があった。日中間にはさらに多くの問題がある。そうした中で、自由貿易原則が通じる相手を増やしていくことが、「ボーダフルなグローバル経済」で生き延びていく知恵となる。もっともこれは今に始まったことではなく、「通商国家ニッポン」がずっと苦労してきたことでもあるのだが。
気をつけなければならないのは、日本の組織は「枝葉にとらわれて幹を忘れる」のが大得意であるということだ。「さあ、これからは経済安全保障だ」ということで、あっちこっちに忖度しすぎて企業活動が委縮してしまう、というのはいかにもありそうなことではないか。できればアメリカや中国の企業のように、図太くあってほしいものである。
先の通常国会では、経済安全保障推進法案が成立した。秋の臨時国会では基本方針が策定され、今後は制度ごとに段階的に施行されることになっていく。つまりは運用の在り方が重要になってくる。
新しいルールというものは、法律の条文ができたからと言って、いきなり定まるものではない。いろんな実例に際して、「これはセーフ、これはアウト」という判定を積み上げることによって形成されていくものだ。このプロセスにおいて、各企業が最初から安全運転志向に走るようでは、それこそ「角を矯めて牛を殺す」ことになりかねない。
あえて刺激的な表現を使うならば、「一発退場のレッドカードをもらうわけにはいかないけれども、イエローカードであれば最初はもらっても授業料」というくらいの覚悟が必要なのではないか。若い頃に「昭和の商社マン教育」を受けた世代の一員としては、最近のリスク回避的な日本企業がちょっと心配になっているのである。
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