元々険悪だった?「北条義時」父・時政を追放した訳 「鎌倉殿の13人」主人公の実像と北条家の確執

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時政の追放は「牧の方が娘婿の平賀朝雅を将軍にし、3代将軍・源実朝を廃そうという陰謀を企んでいる」とのうわさ(『吾妻鏡』には「その聞こえあり」とある)がきっかけとなっている。

本当に、牧の方や時政がそのような陰謀を巡らせていたかどうかというのはわからない。想像をたくましくすると、義時の側が謀反をでっちあげ、時政方に先制パンチを喰らわせたと見ることができよう。

時政が自邸にいた将軍・実朝を簡単に奪われてしまったことを考えれば、時政側がどこまで謀反の準備をしていたか疑問も浮かぶ。私は、時政のこれまでの所業から、時政を謀略の鬼のような人物だと思っている。これはあくまで、私の想像ではあるが、時政は謀反の準備などしていなかったように感じる。謀略の鬼が凡ミスをするとは思えないのだ。

とはいえ、牧の方が、娘婿の平賀朝雅を将軍にしたいと野心を抱いたことはあったかもしれないし、その意向を他人に漏らしたことも考えられる。それが義時側によって「謀反」と解釈され、ついには身を滅ぼすことになったのではないか。

義時としては、父と牧の方がこれ以上、勝手放題に振る舞えば、北条氏全体に害が及ぶと考えたのだろう。それを避けるために、謀反情報を流して、父と牧の方を排除したと思われるのだ。

北条義時は平賀朝雅を追討

時政を追放した直後、義時は平賀朝雅を討つことを決断する。そして、閏7月26日、仙洞(院の御所。当時の院は後鳥羽上皇)で囲碁をしていた朝雅に、小舎人童が討っ手が来ていることを知らせる。

ところが、朝雅は驚きもせず、元の座へ戻って目数を数えた後で「関東から私を討つための軍勢が差し向けられたようです。早く退出をお許しください」と上皇に願ったという(『吾妻鏡』)。

その後、宿舎に戻った朝雅は防戦しきれずに逃亡、そして討ち死にするのである。軍勢が迫っているのに驚きもしなかったというのは、朝雅の人物もなかなかのものといえよう。義時は父を追放することによって、幕政の実権を握っていくことになる。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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