寅さんが「何度でも失敗が許される」本当の理由 渡る世間には「ケアと就労」2つの原理が必要だ

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普段ぼくは障害者の就労支援に従事しています。社会では健常者と障害者という区別が存在しますが、もちろんこの間にも連続性は存在しています。健常者と言われる人も社会と軋轢を生んでしまう「障害」を持っていますし、障害者でも社会が変われば「障害」を感じずに済む場合があります。つまり「障害」は人と社会の関係によって発生するのです。そういう意味で就労支援とは、人が社会と折り合いをつけるサポートをする仕事だと思っています。

本人はあるがままでよく、社会の側が100%悪いのだから本人は何もしなくてもいいというわけではありません。一方で、就職するために性格を大きく矯正しなければならなかったり、本人だけが「障害」を乗り越えなくてはならない状況が発生しているとしたら、それは根本的に社会が間違っています。

人は誰しも、限定された時代、国、地域、家族のなかを生きているし、社会はつねに未完成です。特定の時代、特定の場所で生きている以上、なんらかの制約は誰もが受け入れざるをえません。同時に、できるだけ多くの人が「障害」を感じないで済むよう、制度や文化を変えていく努力も不可欠です。

社会生活を営むうえで重要な「2つの原理」

ぼくが携わっている就労移行支援という福祉サービスは、利用できる期限が2年間と決まっています。この間にサービス利用者が企業などに就労できるよう、パソコンスキル、手作業や農作業能力、コミュニケーションスキルの習得、自己理解の促進、面接練習などのサポートを行います。この期間をぼくは「ケア期」と「就労期」というふうに大きく2つに分けています。もちろんこの間にも連続性はあるし、1年ずつ明確に分かれているわけではありません。どうしても就労移行支援では「ケア期」が前期で、「就労期」が後期という立て付けになってしまいますが、別に就労支援分野だけでなく、ひいては人間が生きていくうえで「ケア」と「就労」という2つの原理を行ったり来たりしながら社会生活を営むことはとても重要です。

まず「ケア期」とは、その人の存在が絶対的に認められる時期です。就労移行支援では、最初は「失敗をしても排除・否定されない経験」ができる場を提供することが大切です。障害を抱える方々は、人付き合いがうまくいかなかったり、仕事でミスばかりしてしまったり、家族の中でも居場所がなかったりして、社会や集団から排除される「負の経験」を積み重ねている場合がとても多くあります。そういう意味で、「失敗をしても排除・否定されない経験」をより多くする必要があります。この全人的に存在が認められる時期が「ケア期」です。

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