寅さんが「何度でも失敗が許される」本当の理由 渡る世間には「ケアと就労」2つの原理が必要だ
人が社会を生きていくうえで「ケア期」はとても大切です。失敗しても成功しても、役に立とうが立つまいが、本来はその人が存在する理由とはまったく関係がありません。このような地平にまず立たないと、人はできるかできないかわからないことにチャレンジしようとは思わない。しかし現代社会では、役に立たないと生きていてはいけないという言説が飛び交っています。特にデフレが長く続き、社会全体が貧しくなってきたことが影響し、経済活動に参加できない人に対しての風当たりがとても強くなってきています。これは本当に良くない風潮です。
「ケア期」を経て心身が安定し、社会関係のなかで「危険」を感じなくなって初めて「就労期」に入ることができます。「就労期」では、自らの労働力によって社会とつながる方法を模索することになります。つまり「戦力になる方法」を身につけていくのです。そのためには自分が好きなことよりも、向いていることに意識を向ける必要があります。もちろん好きなことと向いていることが同じであればよいのですが、そうではないことのほうが多いのはご存じのとおりです。その場合「就労期」においては、向いていることつまり適性があることを選択し「無理せず続けること」を目指します。賃金を稼いだり、生産物を生み出すことは1回だけできればよいわけではありません。生きていくためには継続することが大切です。
そもそも生きることに理由など必要ない
このように就労移行支援は、「ケア」と「就労」という「2つの原理」によって成り立っています。人間は理由などなくても存在してよいという「ケア的な部分」と、社会のなかで役に立つことで自分の存在をより明確にできる「就労的な部分」。どちらかだけでも人は苦しくなってしまいます。ただぼくが思うのは、健常者と言われる人は知らずしらず「就労的な部分」だけで生きていることに気がついているのかということ。いつのまにかぼくたちは、この世界に存在するための理由を求められている。だから就職活動に失敗したり、仕事を退職してしまうと、自分は無意味なのではないか、生きている意味などないのではないかと思ってしまう。しかし、そもそも生きることに理由など必要ありません。「2つの原理」で生きていると、この地平に立ち返ることができます。
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