寅さんが「何度でも失敗が許される」本当の理由 渡る世間には「ケアと就労」2つの原理が必要だ

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しかし葛飾柴又の実家ではどうでしょう。旅先で寅さんと出会い、東京にやってきた客人たちは、旅先の寅さんとはまるで違うグータラでトンチンカンな「三枚目」と出会うことになります。これは日本の各地ではケアと就労の「2つの原理」がうまく作動していた寅さんが、実家に帰ってきた途端、ケアの原理だけに適応していることを意味します。寅さんはおいちゃんと喧嘩をしてどんなに激怒しても、二度と家に入れなくなることはありません。また妹のさくらが寅さんを完全に見捨てることはないでしょう。つまり「何度でも失敗が許されている」のです。寅さんが旅先で自らの労働力によって社会とつながり、困っている人を救う「ケア力」を発揮できるのは、そもそも実家でケア的空気を胸いっぱい吸い込んでいるからだともいえます。

渡世人も楽しく生きられる社会

例えばぼくの場合、ルチャ・リブロの活動を行いながら、社会福祉法人に勤務しています。この関係はケアと就労という「2つの原理」に対応しています。自宅を図書館として開くというルチャ・リブロ活動は、別に誰かのためにやっているわけではないですし、ニーズがあったから始めたわけでもありません。言い方を換えれば、ルチャ・リブロ活動をやろうとやるまいと、そんなことはこちらの勝手です。「ルチャ・リブロは社会実験です」という言い方をしますが、そういう意味ではルチャ・リブロは、ぼくたちにとって「何度でも失敗が許されている」場なのです。このようにルチャ・リブロ活動は、なによりぼくたち自身にとっての「ケア的な部分」を担っています。

『彼岸の図書館: ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)。(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

ルチャ・リブロという場がぼくたちの存在を認めてくれるからこそ、ぼくは社会福祉法人で戦力となって働くことができます。ぼくがルチャ・リブロ活動と法人職員を往復している関係は、ケア的な部分と就労的な部分を「行ったり来たりしながら」生きている状態に似ていると言ったのは、こういう意味です。大前提として、人は存在するだけで価値があるのだけれども、同時に労働力という形で集団に貢献することで、また違った価値を創出することができます。価値の基準は1つではない。その価値を規定する原理を2つ持っておくこと。それが現代の渡世人です。

寅さんにとって渡世人がつらかったのは家族がいなかったり、定職に就いていなかったり、家を持っていなかったりするなど、わが国において近世以降続く、定まった場所を持たない人へのケアが足りない社会だったからです。むしろ定まった場所がない人たちが、思わず「そこが渡世人の楽しいところよ」と口にしてしまうような社会なら、誰にとっても安全が確保され、安心して生きていけるでしょう。目指すべきは、渡世人も楽しく生きられる社会なのです。

青木 真兵 「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター、古代地中海史研究者、社会福祉士

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あおき しんぺい / Simpei Aoki

1983年生まれ、埼玉県浦和市に育つ。「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。博士(文学)。社会福祉士。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信をライフワークとしている。2016年より奈良県東吉野村に移住し自宅を私設図書館として開きつつ、現在はユース世代への支援事業に従事しながら執筆活動などを行なっている。著書に『手づくりのアジール──土着の知が生まれるところ』(晶文社)、妻・青木海青子との共著『彼岸の図書館──ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』シリーズ(エイチアンドエスカンパニー)などがある。

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