国家(特に2000年代初頭以来、兵力を展開していたアメリカ)の側から見れば、PMCとの契約は冷戦後に軍の規模が縮小していくなかでいかにして費用をかけずに現地の軍事活動をアウトソースしていくかという、いわば軍の効率化の流れを汲んだものであった。しかしその一方で、PMCを管理する法制度は十分に成熟しておらず、結果としてPMCによる現地での無法な行動が大きく問題視されるようにもなった。
ロシア・ウクライナ戦争では、ウクライナ政府が各国政府に支援を呼びかけるだけでなく、多くの個人に対して協力を呼びかけた。このこと自体は珍しいことではない。
しかし、それを受けた他国の一般市民が所在する国の政府を動かすということだけではなく、市民が自身の決断に基づいて直接の戦争参加に進んでいくようなケースをどう見るかという問題が、ロシア・ウクライナ戦争からは見てとれる。サイバーや宇宙通信のような技術は、国家に独占されるのではなく、広く民間に普及することで「普通の人々」を戦場に接近させることになる。
「新たな戦争の手段」はどこまで受容されるか
ウクライナを支持するかたちでこうした民間の力が行使される場合、それはしばしば喝采を浴びがちである。しかし国家によって制御されていない、人道支援のようなものとは異なるレベルでのより軍事行動に近いかたちの「支援」が行われうる環境が作り出されていることを、現行の国際ルールの下で好ましいものと言い切ることができるかといえば、必ずしもそうではないだろう。
民間レベルでのこのような「支援」がもたらす問題として、少なくとも次の2点を挙げることができよう。
ひとつは、支援元となる政府の外交的な思惑とは異なるかたちで、民間が独立した判断によって戦争当事国の政府(ウクライナ)に力の提供を行うケースであり、政府の発する外交的メッセージが不明瞭になる可能性が生じる。
もうひとつは、戦争当事国の指揮命令系統から外れるかたちで民間の力が行使されるケースであり、その場合に最終的な力の管理をいったい誰が行うのかという課題が生じる。
いずれにしても、公的主体によって管理されない「武器」が存在し、国家間紛争に投入されていく可能性が高まれば、それは戦争がエスカレートしていく際のプロセスを複雑化させることにもつながるだろう。今後ウクライナが防衛に成功し、民間主体による戦争協力がそのための有効な手段として認識されるようになったとしても、それが国際秩序を維持するための好ましいメカニズムかどうかは別の問題として残るのである。
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