また、自分自身も含め、地方の「無名校」から合格を果たす者もちらほらいた。入学当初そうした「マイノリティー」が集まって、大学生活をスタートさせた記憶もある。
今日では、そうした地方の無名校からの東大進学はレアケースになっている。今日、東京大学の現役合格率は70%以上に達しているという。また、合格者の大部分は、名の売れた進学校の出身者である。
なぜ現役合格率がこれだけ高くなっているのだろう。明らかにひとつの要因として、経済的理由から、あるいは心理的理由から、受験生が浪人という選択肢を避けるようになってきているという事態を挙げることができる。
しかし、私には真の要因はほかにあるように思われる。それはずばり、「ペアレントクラシーの高まりの帰結」とでも言えるものである。
東大へといたる受験の道のスタートは著しく低年齢化しており、周到に親が用意した子育て・教育によって順調に成長した若者たちが、ある意味余裕をもって受験というハードルをクリアできているのではないか、と考えるのである。
逆に言うと、苦労してはいあがった者が逆転できないようなギャップ、あるいは地方で自分なりの地道な努力を続けているだけでは乗り越えられないようなカベが、そこには生じているのかもしれない。
筆者の知り合いのお子さんは、表現はやや適切ではないかもしれないが、大切に育てられたサラブレッドのような存在である。サラブレッドは、英語で書くとthoroughbredとなる。すなわち、「徹底的に」あるいは「綿密に」(thorough)、「飼育された」(bred)存在が、サラブレッドなのである。
「格差化」ペアレントクラシーの中で割を食う人たち
ここまで見てきたのは、主として社会の上層にかかわる部分であった。言い換えるなら、ペアレントクラシーのなかで自己を生かすことができている人々について見てきたわけである。
次に、その「逆サイド」に目を向けてみよう。すなわち、ペアレントクラシーというゲームのルールを十分に生かすことができない人たち、もっと言うなら、その中で「割を食っている」人たちのことである。
筆者は、2000年ごろから学力問題の調査研究に携わってきた。きっかけとなったのが、その当時に勃発した学力低下論争と呼ばれるものであった。私たちは比較的大規模な実態調査を行った。そこで見いだされたのが、「学力低下」の内実は「学力格差の拡大」であるという事実であった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら