親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた

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親父の納棺 日暮えむ 柳瀬博一
誰かの死を看取るという行為は、あらゆる日本人にとってすでに当事者問題だ(絵:日暮えむ)
コロナ禍に訪れた、父の死。通夜も葬儀も、身内だけでこぢんまりと行われることになった。
訪れた女性納棺師に導かれ、父を着替えさせるという経験をする。父の体と向き合ったときに見えてきたものは――。
『国道16号「日本を創った道」』の著者である柳瀬博一さんがコロナ禍に父親を送るという経験を綴った『親父の納棺』から一部抜粋、再構成してお届けします。

リハーサルなしで「納棺師」の仕事を手伝うことに

「いっそ、お父様のお着替え、お手伝いされませんか?」

納棺師のすずさんは言った。

「ぼくらが、ですか?」

思わず、問い返した。

「…….あの、やってもいいんですか?」

「もちろんです」

1秒前まで想像すらしていなかった。

自宅の和室。親父は目の前に横たわっている。

着替えさせたことなんか、ないぞ。しかも、死んでいるのだ。親父は。

いきなりリハーサルなしで、私は「納棺師」の仕事を手伝うことになった。

そう、「おくりびと」をやることになったのである。

2021年5月20日。親父が死んだ。実家のある静岡のとある病院で。87歳だった。

親父の病と死は、新型コロナウィルスの感染拡大時期とぴったり重なっている。

親父自身はコロナに罹って亡くなったわけではない。

が、コロナがもたらした急激な社会の変化に、親父は翻弄された。家族も翻弄された。

生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。

3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた。

退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。

老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。

もちろんコロナ禍の影響である。東京で暮らす私、弟、海外に住む妹、老人ホームから徒歩圏内に暮らす親父の妻=母。誰も、親父と面会できなかった。

老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。

引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。

すべて、「コロナ」のせいである。

入院から1ヵ月半後。

親父はあっさりこの世を去った。

通夜は家族だけで行った。母、弟、妹、叔母、そして私。たった5人である。

うちはカソリックなので、翌日の葬儀は地元のカソリック教会で行った。

参列した人は数えるほどだった。

人が集まることは極力避けねばならない。

お通夜も葬儀もごく少人数しか参加できない。親戚の大半も、友人も、知人も、立ち会えなかった。すべて、「コロナ」のせいである。

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