親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた
親父が死んだその日。私と弟は東京から車で実家に戻った。
通夜は4日後。葬儀は5日後だ。誰も弔問にこない。喪主の挨拶も、知らぬ人の涙も、大勢の親族との献杯もない。
と書くと、さみしい別れ、のように聞こえるかもしれない。
ところが、である。実は、ちょっと違った。いや、ずいぶん違った。
私が実家を出たのは40年近く前のこと。東京の大学に進学して以来、ずっと首都圏住まいである。前職は日経BP社で現在は、東京工業大学でメディア論を教えている大学教員だ。暮らしの場も仕事の場もずっと首都圏だった。静岡県にある実家に戻るのは年に1度か2度、盆と正月くらいである。5日間も(死んでいるけれど)親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。
そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。
親父の納棺を直接手伝ったのである。手伝ったどころじゃない。
納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ。
つまり「おくりびと」になったわけだ。
「コロナ」が奪ったものともたらしたもの
私たち家族は、葬儀までの5日間、亡くなった親父と、平時ではありえなった、静かだけれど濃密な時間を過ごした。
……奇妙な話だが、「コロナ」のおかげである。
2020年1月以来、世界を覆い尽くした新型コロナウィルスは、私たちの日常からさまざまなものを瞬時に奪った。たくさんの人々の生命が危機にさらされ、人と人とが物理的に会うことが困難になり、当たり前の社会活動ができなくなった。私の場合、親の死に目に会えなかった。
一方、コロナ禍は、想像もつかなかった体験をもたらした。物理的に会えない代わりに、私たちはインターネットのリモート会議サービスを活用し、遠く離れた家族や友人と、かつてより頻繁に密接にコミュニケーションをとるようになった。出勤や通学を自粛せざるをえず、自宅にこもるようになって、家族と向き合う時間が物理的に増え、近所で過ごすことが多くなった。
親父が火葬場で灰と煙となった夜。私は、5日間の経験を、その間に劇的に変化した自分の主観についてを、すぐにパソコンに打ち込んだ。生々しい体験だった。だからこそ、すぐに書いておかなければ、あっという間にディテールを忘れてしまうだろう。
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