親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた

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「ケア」の仕事とはなにか。

通常は、医療や介護の世界の現場で、患者や老人、障害者のお世話をする仕事のことを指すケースが多い。ここで疑問が生じる。ケアは、生きている人だけのものなのか?

私たちは遠い昔から死者を弔ってきた。弔いは間違いなく死者に対するケアである。

宗教も葬儀も古墳もピラミッドもお墓もミイラもお盆も、死者に対するケアだ。

ただし、私が見落としていた死者へのケアがあった。

亡くなったばかりの遺体、つまり死体に対する物理的なケア、である。まさに今回、私が経験した、親父の手を握り、服を着替えさせた、あの行為だ。人は亡くなっても、体はそこに残っている。死体のケアなくして、葬儀も火葬も埋葬もお墓も一周忌もない。

間違いなく、死体のケアは、宗教の誕生より前から存在していたはずである。ケアしなければ死体は腐っていくままだ。私たちの先祖は、はるか昔から死体となった親しい人のケアをしてきたはずだ。もしかすると死体のケア、死者との物理的なケアを通して生まれてきた物語や宗教があったかもしれない。

たんなる儀式ではない

そんな死体のケアについて、でも、私は、自分が直接経験するまで思いを馳せることはなかった。

納棺師のオフィシャルな仕事は、数日内に焼き場で燃やされてこの世からいなくなってしまう人に、ふさわしい衣装を着せ、ふさわしい化粧をして、弔ってあげることだろう。

ただし、それはたんなる儀式ではない。着替えと死化粧の施しだけじゃない。そこには、亡くなった方に対する、そして遺された人たちに対する、「ケア」すべてが含まれているのだ。ただし、通常、この死体のケアに遺族が直接かかわることはほとんどない。通夜や葬儀の準備におおわらわで、主人公=死者の死体のケアは、プロ=納棺師に任せきりになってしまうのが通例だ。

だから、私たちは、棺の中に隔離された「故人」と遠巻きに対面するしかない。

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世界トップの高齢者社会である日本は、これから未曾有の高齢者多死時代を迎える。戦後、日本が若かった時代の年間死者数は60万人程度だった。それが高齢化が進むと次第に死者数は増え、2016年には130万人を超えた。国立社会保障・人口問題研究所の調べでは、2024年以降、毎年150万人の日本人が亡くなる。そんな時代が50年前後続くという。

誰かの死を看取るという行為は、あらゆる日本人にとって当事者問題にすでになっている。

だからこそ、亡くなった人と残された人との間の最後のコミュニケーションの機会である「納棺」「おくりびと」経験の重要性について、少しでも多くの人に知ってもらいたい。たまたまコロナ禍のまっただなかで親父を亡くし、たまたま「おくりびと」経験をした、私の個人的な思いである。

柳瀬 博一 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授

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やなせ ひろいち / Hiroichi Yanase

1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社、「日経ビジネス」記者を経て単行本編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネス オンライン」立ち上げに参画、広告プロデューサーを務める。TBSラジオ、ラジオNIKKEIでラジオパーソナリティとしても活動。2018年3月日経BP社退社後、現職。共著書に『インターネットが普及したら僕たちが原始人に戻っちゃったわけ』『混ぜる教育』など。

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