「私のここがすごい」と自慢するものもないけれど、常に最悪を考え、最善を尽くすことで、チャンスをつかんできました。小さいころ、朝起きると、両親は常にいなかった。朝早いうちから農作業に出ていましたからね。
そうやって、必死に働く背中をずっと見てきたから、努力を努力とも思わないところがある。
毎朝、ひとりで起きて、水道がなかったので、家の前の堰で、氷のように冷たい水で顔を洗った。だから、そのときの気持ちを忘れないように、いまでも、冷たい水で顔を洗っています。
選挙前まで3万軒まわり、6足の靴がダメになった
18歳で上京し、町工場で働いたりして、生活費を稼ぎました。厳しい貧乏も経験しました。
横浜市議に挑戦したときは1日300軒、選挙前までに3万軒をまわり、6足の靴がダメになった。議員時代も朝と夜は駅に立ち、その合間は交差点に立った。「倒れるんじゃないか」って、秘書が心配していました。
小さい選挙は大変です。どこの高校だとか、どこの町の出身だとか、そういうのが結構左右するんですけど、相手候補から、あいつは秋田から来て、落選したら田舎に帰ると言われたものですから、わざと秋田県出身ってポスターに大きく書いてやりました。
そうしたら、秋田県にゆかりのある人はみんな応援してくれるんですよね。それが東北の人に広がり、そのうち全国の地方出身の人が「お前、田舎から出てきて大変だな、がんばれよ」と言ってくれました。ある意味でピンチがチャンスになりました。
箱根駅伝が正月2日3日と選挙区の道路を通るのですが、沿道の方に「今度選挙に出る菅です。明けまして、おめでとうございます」と名刺を配って歩きました。いま私の秘書出身の議員がそのまま真似していますが、彼はやっぱり選挙強いですよ。
――政治家にとって仲間作りは重要だと思いますが、派閥に入らなかった理由は?
派閥に入ると、政策論争に派閥の意向が強く働きます。自分が納得しなくても、飲み込まないといけないことが出てきます。そうなると、本当にやるべきことができないですからね。
総理大臣の時の思い切った決断も、派閥に入っていたらできなかったかもしれません。
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