味に敏感な子に「頑張って食べようね」が禁句な訳 小学校の給食の時間が苦痛で仕方がなかった

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小学校の卒業文集に書いた好きな食べ物は「白米」でした。親がつくってくれるハンバーグやカレーや餃子は食べられましたが、レストランや給食でカレーやハンバーグが出ても食べられません。親の料理がうますぎるわけでもありません。

でも、「味が違う」と思ったものは食べることができないのです。これは僕の想像ですが、ハンバーグはこの味、カレーはこの味と自分の中で決まったものがあり、それ以外の味に拒否反応を示すのです。味の許容度が狭いのかもしれません。

食べると味覚の刺激で吐き気がするのです。子どものころはその感覚を認知できず、ただただ苦痛に感じていました。

小学生のころの話に戻すと、とにかく給食の時間が地獄でした。僕の通っていた小学校は苦手な食べ物は「お減らし」ができます。でも、まったく食べないのはダメで、苦手なものでもひと口は食べようという方針でした。

僕は全メニューをひと口だけに減らしていたのですが、そのひと口が食べられず、昼休みも掃除の時間も皿にひと口だけ乗っている食べ物を見つめるだけの時間を過ごしました。

食べられるものの数を数えたほうが早い

「ひと口くらいがんばれば?」と思う人もいるでしょう? そのひと口が、口の中、脳内に味が広がる瞬間の苦痛をどうすれば伝えられるでしょう?

誰だって、どうしても食べられない、食べたくない苦手な食べ物があると思います。多くの人は苦手なものは数えられるくらいなのかもしれませんが、僕の場合は食べられるものを数えたほうが早いのです。食べたくないものを口にしなければならない苦痛は誰もが想像できると思います。その品数が多いことを想像していただければ共感しやすいのではないでしょうか。

僕の小学校時代は、たくさん楽しい思い出もあるはずなのに、「給食が地獄だった」という記憶しか残っていません。

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