嫉妬に狂う弟子を諭した「立川談志」本質突く名言 自身の経験に基づく教訓「現実は正解なんだ」
「ベトコンはオレを差別しないし、オレがベトコンを殺しに行く理由は何もない」
泥沼化したベトナム戦争を思えば、けだし名言だろう。だが、当時はベトナム戦争への反戦運動が高まりを見せる前だったため、アリには「非国民」という声が各方面から浴びせられる。マスコミはアリを批判するコメントを連日報道した。
「ボクシングの技は自慢するが、軍隊に召集されると、追い詰められたネズミみたいにキーキーと泣き叫ぶ。この小僧のタイトルを剥奪すべきだ」
「彼の試合は観に行かない。彼はボクシング界の面汚しだ」
アリは徴兵忌避の罪で裁判にかけられて、無敗のままチャンピオンタイトルを剥奪。さらにボクシングライセンスまで奪われてしまう。
追放されたアリは大学での講演活動で食いつないでいる。負けてもいないのにタイトルを奪われたのだ。腐ってもおかしくはないが、アリは講演にも全力で挑んでいる。必ず鏡の前で練習して、それを妻に聞かせるなど入念に準備を行った。
「ときには自分で聞くためテープに録音して、話し方を工夫したよ。3カ月ほどそうやって準備したから、最初のスピーチはうまくいったよ」
最終的にはアメリカの最高裁は、アリに対する有罪判決を却下。ライセンスが再発行されたとき、アリは30歳になろうとしていた。ボクサーとして最盛期の時期に3年5カ月もの間、アリは国家との戦いを強いられたことになる。
復帰戦は同じく無敗のヘビー級チャンピオン、ジョー・フレイジャー。アリは「チャンピオンにしては頭が悪すぎる」と以前のように挑発して盛り上げたが、判定で生涯初の敗北を喫する。その後もアリは黒星を重ねてしまう。
もはやアリの時代は終わったかに見えた。だが、その後、フレイジャーを再戦で破ると、1974年にはジョージ・フォアマンをノックアウトしてタイトル奪還に成功。39歳で引退するまで、アリは通算3度タイトルを獲得し、19度の防衛を果たした。
官僚時代に難病に苦しんだ池田勇人
所得倍増計画――。高度成長期をひた走った日本を、そんな言葉でけん引した首相がかつていた。1960年に内閣総理大臣となった池田勇人である。
池田は大蔵省(現・財務省)の官僚を経て、戦後に政治家に転身。初当選で吉田茂に大蔵大臣に抜擢されている。吉田の側近として地歩を固め、首相にまで上り詰めた。不景気の今、再び池田に注目が集まっているが、官僚時代に難病を患い、療養生活を余儀なくされたことはあまり知られていない。
「どうも手足がむずがゆい。昨夜、虫にでも食われたのかもしれない」
症状は妻へのそんな一言から始まった。1930年、池田が30歳のときのことである。最初は、膝のあたりに小豆ほどの小さな水ぶくれがあった程度だったが、やがて全身に広がっていく。
全身の水ぶくれは膨張したのちに、潰れて出血。新たな水ぶくれを発生させるという地獄のループを生んだ。
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