嫉妬に狂う弟子を諭した「立川談志」本質突く名言 自身の経験に基づく教訓「現実は正解なんだ」
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば、さらに自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬しているほうが楽だからな。だがそんなことで状況は何も変わらない」
嫉妬したところで何も生まれはしない。実はこれは談志自身の経験から来ている教訓でもあった。
談志は、小学5年生のときに初めて寄席に連れて行かれて夢中になり、16歳のときに5代目柳家小さんに弟子入りした。早々に落語界で生きていくことを決め、20歳でマスコミにも出始めている。キャバレーでも売れて、抜群の実力を誇りながらも、真打ちになったのは入門から11年目、27歳のときと遅かった。
自分よりも後にこの世界に入った者が不可解な基準で、先に真打ちになり、追い越されることがどうにも耐えられなかった談志。「何であたしが先に真打ちになれないのか」と師匠に抗議したこともあるが、とりあってもらえなかった。
そんな経験からか、弟子の談春への言葉はさらにこう続けられる。
「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という」
弟子に語った言葉どおり、談志は理不尽な真打ち昇進試験と考査基準に立ち向かっている。1983年、落語協会から脱退して、立川流を創設。家元制度を確立して自ら初代家元となり、自力で落語界を変革した。文句は非力、行動は力。
モハメド・アリの運命を変えたベトナム戦争
蝶のように舞い、蜂のように刺す――。
モハメド・アリは、その華麗なボクシングスタイルでプロデビュー以来、連勝を重ねた。1964年には世界王者ソニー・リストンに打ち勝って、22歳の若さで、至上4人目の無敗でのヘビー級タイトルを獲得する。アリは報道陣に胸を張った。
「俺はかつて存在したなかで最も美しいものだ。世界の度肝を抜いてやったぜ! 」
アリはその実力もさることながら、対戦相手を執拗に挑発し、試合への注目を集めさせるのに長けていた。「オレは偉大だ! 」といつでも大口を叩き、「ヤツを5ラウンドに倒す」と予言して、それを実現するなど、有言実行ぶりは大きな話題を呼ぶ。
アリは名実ともに国民的スーパーヒーローの階段を駆け上がっていく。そんなアリの運命を変えたのが、ベトナム戦争への徴兵である。徴兵を拒否すると、アリはこう言い放った。
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