ジンギスカン「戦前は東京名物だった」意外な事実 北海道より東京のほうが羊の消費量が多かった

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北海道名物のジンギスカン。戦前は北海道よりも東京でよく食べられていました(写真:JIRI/PIXTA)

北海道の名物と聞くと「ジンギスカン」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。しかし戦前まで歴史をさかのぼると、ジンギスカンの本場は、北海道ではなく東京でした。

農林省畜産局が編集した『第八次畜産提要』によると、 1935(昭和10)年の県別の羊屠畜頭数は、北海道108頭に対し東京府910頭。人口比(当時の東京府は北海道の約2倍の人口)を考慮に入れても、東京では北海道以上に羊が消費されていました。

西洋料理が普及していた東京では、もともと羊肉の消費量が多かったとはいえ、1923(大正12)年に北海道の4倍だった屠畜数(農林省畜産局編『第六次本邦畜産要覧 』 )が、 1935年には8倍以上と、昭和初期にかけて消費量が増えています。

昭和初期も「ガチ中華」ブーム

東京の羊肉の消費量を押し上げたのは、ジンギスカンブームでした。ブームを仕掛けたのは、東京の中華料理店「濱のや」。1932(昭和7)年に濱のや店主が北京の「正陽楼」という店から「ジンギスカン」を東京に持ち帰り、ブームに火がつきました。つまりジンギスカンは、もともとは北京料理だったのです。

昭和初期の東京は、日本で最も中華料理が普及していた都市。広東料理屋の柳麺(ラウミン)を日本人の口に合うようアレンジした中華料理ラーメン等が、蕎麦屋から洋食店、デパートの食堂から国会の食堂まで、あらゆる店に広がっていました。ここに、中華料理であるジンギスカンが普及する素地がありました。

中華料理に慣れ親しんだ東京の食通たちは、やがて本格的な中華料理、現在の流行りの言葉で言えば「ガチ中華」を求めるようになります。そんな食通たちの目の前に現れたのが、北京からきたガチ中華、ジンギスカンだったのです。

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