千葉雅也「思考を効率化しない事」がなぜ重要か 話題の哲学書『現代思想入門』の著者に聞く
あらゆる勉強は“キモさ”を伴う
── 著書の『勉強の哲学』に「勉強をするということは、キモくなるということだ」というワードがありました。
千葉:まわりから少し浮くっていうことですね。
── 勉強をして、物事を別の目線から批判的に見るようになることで、自分が慣れ親しんだ環境のノリからズレていく、という。それは哲学や現代思想を学ぶことに関しても同様だと思うのですが、社会から浮いて、変わった人と思われたりするのは、よくよく考えるとなかなか勇気がいるなとも思います。
千葉:それはそうです。だって人は何が得かとか、何が楽しいかという、すごく直接的なプラス・マイナスで動いているわけですから。でもキモくなるというか、その状況から浮くということは、そこから距離をとって、みんなからちょっと外れるということ。みんなでワイワイやって一生過ごしていきたかったら、下手に勉強なんかしないほうがいい。それは間違いないです(笑)。
── 現状に満足しているのなら、あえて勉強しなくても?
千葉:今の自分の人生で仲間とそこそこ楽しくやれていて、これ以上、変に意識を変えたくなかったら、無理して勉強しなくていいと思う。みんながもっと勉強するようになるべきだというのを疑わずに啓蒙する人もいますが、僕はそれは違うと思っているから。
── それをふまえて、千葉さんの『現代思想入門』が8万部を突破して、ここまで大きな反響があるということは、やはりこのままじゃダメだ、と思っている人が多いということなのかなと。
千葉:そうですね。あとコロナ禍というタイミングも大きかったと思います。コロナによって全体主義的といってもいいような統制が強くなっています。世の中の色々なところで、いかに人を統制して、はみ出し者をなくすか、人がはみ出さないようにしていくかという流れになってきている。
フーコー(※)という哲学者はそういう統制の歴史を研究し、批判した人なのですが、彼はある意味、はみ出す不良の権利を擁護した人だとも言えます。フーコーは、誰も見ていなくても、自主的にちゃんとしていなきゃいけない、というメンタリティが成立したのが近代であると説いています。それは例えば夜、クルマがまったく通ってない誰もいない住宅街でも、赤信号や横断歩道ではちゃんと止まって待つ、というような意識です。