「山手線止めてんだぞ!」どちらが悪かったのか 利己的な乗客、激高した駅員ともに想像力が欠如

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第2に「非常停止ボタンを押すタイミングによっては、急ブレーキがかけられて死傷者が出るリスクがあった」こと。もしそうなってしまったとき、自分は責任を取れるのか。人生が暗転してしまわないか。少しも想像できないからこの乗客は非常停止ボタンを押してしまったのでしょう。

第3に「もし鉄道会社が損害を被ったら、賠償責任を負わなければいけない」こと。基本的に非常停止ボタンは、「運行に支障のある大きな物を落とした場合や人命が危険と感じた場合に押すもの」ですが、はたしてこの乗客は「財布を落としただけでも押していいもの」と思っていたのでしょうか。しかも「駅員が事情を説明しているときに押した」ことや、「自分に都合のいいように切り取ってネットにアップした」ことが不利に働く可能性は高く、それらのリスクを想像できていなかったのです。

第4に「この動画をネット上にアップしたら、むしろ自分が責められるかもしれない」こと。一方的に撮影したうえに、都合のいいところを切り取って「駅員が悪い」という印象操作を狙い、ネットにアップして相手を貶めようとする。どの行為を取っても、「『電車を止めたことに対する反省がない』と思われて自分が叩かれるかもしれない」という想像力が欠けていました。

「駅員が激高」はトップニュース

次に駅員の想像力が欠けていた最大のポイントは、「駅員が激高」がトップ級のニュースとして報じられてしまうこと。駅員に限らず職務中にこれほど感情的になっていい職業はほとんどなく、しかも公共交通機関であり、人々の安全を守ることが前提の駅員ならなおのことでしょう。

「渋谷駅の混雑ぶり、緊急停止ボタンを押すリスク、人々へのネガティブな影響などを知っている駅員だからこそ、あれほど感情的になってしまった」という気持ちは理解できても、それは決して激高することの免罪符にはなりません。さらに今回の騒動で、「あんなに感情的な人が渋谷駅の駅員をしていたのか」と不安を抱いてしまった人は少なくないでしょう。

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