中学生アート破損事件「見せる」と「守る」の難塩梅 過剰な防護策を取れば、鑑賞性は損なわれる
照明を落とした展示室に敷かれた鉄道模型のレールの上を、車両が走っている。レールの周囲にさまざまな物が建物のように置かれた様子は、ジオラマさながらだ。先頭車両の前照灯は、物のシルエットを展示室の壁に浮かび上がらせる。鑑賞者は列車が動くことによって生じるシルエットの変化をひたすら楽しむことができる――。
こんな表現の作品を各地で展開してきた現代美術家クワクボリョウタさんの作品《LOST #6》が4月21日、新潟市から修学旅行で新潟県十日町市に来ていた中学生によって壊されるという悲しいできごとが起きた。
作品の修復・再公開の見通しは立たず
その中学生は、侵入できないよう設けられていた柵を越えて作品を踏み壊したという。展示されていたのは、同市の越後妻有里山現代美術館MonETの一室。同館は、開催時に数十万人が訪れる「越後妻有 大地の芸術祭」(今回は、コロナ禍のため1年遅れの開催となっている)の中心施設の1つだ。
筆者はこの作品を実見していないが、過去に見たクワクボさんの作品および関係者から得た情報により、作品そのものおよび事件の状況を推察して本記事を執筆していることを、あらかじめお断りしておく。
このできごとが起きたとき、同館にスタッフはいたが、この作品の部屋に監視員は配置されていなかったという。新潟市が6月6日に発表したこの件に関する報道記事はSNSでも広く拡散され、美術界に動揺を走らせた。
同館で展示されていたドイツの美術家カールステン・ニコライさんの《Wellenwanne LFO》も被害に遭ったが、4月中に修復が施され、展示を再開した。しかし、クワクボさんの作品は、本記事の執筆時点では修復・再公開の見通しが立っていない。そのこと自体が、受けた損傷の激しさを物語っている。
美術作品は、鑑賞されてこそ意義があるものだ。作家にとっては、精魂込めて制作した作品を見てもらえないほど悲しいことはない。本記事ではこの件を今一度見つめ直し、改めて、美術作品と展示の関係について考えたい。
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