中学生アート破損事件「見せる」と「守る」の難塩梅 過剰な防護策を取れば、鑑賞性は損なわれる

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山本雄教《White noise #10》に落書きされたサイン。「文字は読めないのですが、書き慣れたサインという印象を持ちました」と山本さんは話す(写真:山本氏提供)

大地の芸術祭実行委員会によると、展示室には今後監視カメラをつけるという。まずは抑止力になればということだろう。多くの美術館では、監視員の配備やショーケースの利用、鑑賞性を損なわない低反射ガラスをはめた額装などで美術品を守る対策を施してきたが、万全というわけにはなかなかいかない。

「見せる」と「守る」の難しいバランス

しかも、現代美術分野では素材や手法が多様化しており、既存の措置だけでは対応は難しい。眠っている知覚を呼び覚ます山本さんの作品にはガラスはないほうがいいだろうし、近くに寄れないと作者の意図した体験ができない。そして、監視員がいて声がけをしても事件は起きてしまったのだ。

そもそも、こうした事件はそんなに頻繁に起きているわけではない。故意に作品を傷つける事件が起きたのは、大地の芸術祭では、2000年の第1回開催以来、初めてだったという。むしろ例外的なケースと考えたほうがいい。

通常の美術展でも、床に結界としての線がテープなどで引かれることがしばしばある。来場するほとんどの人々がその意味を理解し、守っている。逆に、過剰な保護に走ると、鑑賞性が損なわれかねない。

美術作品は必ずしも万人の理解を得られるとは限らない。しかし、作品が身近に感じられるような接し方ができる環境があれば、鑑賞者はとてもいい経験ができるものである。作家としても、変に距離を取ったり、過剰な防護策を講じたりすることによって鑑賞性が損なわれることは避けてほしいと思っているはずだ。

クワクボさんの作品を壊した中学生は、ひょっとすると量産品のおもちゃのようなものだと思ったのかもしれない。山本さんの作品に落書きをした男性は、ひょっとすると自分の常識の中でそれを美術作品と認めず、サインをすることで作品として完成させようなどという妄想を持ったのかもしれない。

改めて考えるべきは、美術作品のかけがえのなさを人々に伝えることだろう。版画等の複製を前提とした作品を除けば、美術作品は1点しか存在しない。その作品はほかの時代、ほかの場所では生まれえなかったものである。

筆者は、美術品には作家の魂が入っていると考えている。作品を傷つけるのは、魂を傷つけることにほかならない。たとえば、美術作品を魂の入った物、すなわち人として接してみるという考え方を多くの人にしてもらえるといいように思う。

本物の人とは近くで接することも多いが、乱暴に触れ合うのは決していいこととは言えない。温かみをもって接すれば、相手からも温かみが返ってくるものだ。小学生や中学生にも、鑑賞教育の一環として、そうしたことを大人から伝えられるといいと思う。

小川 敦生 多摩美術大学教授

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おがわ・あつお / Atsuo Ogawa

1959年生。東大文学部美術史科卒。日経BPの音楽、美術分野記者、『日経アート』誌編集長、日経新聞文化部美術担当記者などを経て、2012年から現職。近著に『美術の経済』。

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