中学生アート破損事件「見せる」と「守る」の難塩梅 過剰な防護策を取れば、鑑賞性は損なわれる

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クワクボさんの作品は、当初の報道では「修復不可能」とされていた。しかし、新潟市が発表した3日後の6月9日、クワクボさんはTwitterに自身のアカウントで掲載した文章で「修復可能」とした。

クワクボさんの文章は、「誰でも若いうちは失敗をするもの」といった言葉をはじめとして、行為を起こした中学生への思いやりに満ちていた。その後の報道やSNSへの投稿は、中学生の将来を考えたクワクボさんへの好意的な反響で埋め尽くされた。

クワクボリョウタさんがTwitterで文書を公開した画面(画像:6月28日6:55のスクリーンショット)

作者が「寛容な対応」をした背景

クワクボさんの配慮を斟酌すると、この件については、物理的な意味で修復が可能かどうかについては、大きな問題とすべきではないのかもしれない。

もちろん、壊れ方によっては修復が不可能なパーツや再度調達するのが難しい素材もあるだろう。ジオラマのような町を主として構成しているのは、地元で集めた機織り機だったという。十日町市では古くから機織りが行われ、絣(かすり)などの織物が多く生産されていた。クワクボさんの作品は地域の文化や歴史の表出という側面も持ち合わせていたわけだ。古い機織り機などについては、再度の収集や完全な修復が難しい可能性がある。

一方、この作品で重要なのは、鉄道模型の前照灯が壁に映し出した幻想的な光景を見たときに、ときめきのような感情を鑑賞者が持つことにあると筆者は推察している。

もちろん、美術作品においては、見えない部分をも精緻(せいち)に作り込むということは大いにあるだろう。しかし、寸分たがわぬ復元が実現しなくても、元の作品とまったく同じ感興を鑑賞者に持ってもらえる作品の再生は可能と、クワクボさんは考えたのではないだろうか。

クワクボさんは「作者はまだ生きていて作品を修復する気力も体力もあります」と書面に記している。再度魂を吹き込むことが可能ということでもある。

この件は、美術作品とはいったい鑑賞者に何をもたらしてくれるのかということを改めて考えさせてくれる。とはいえ、作家が存命であっても、やはり修復が難しいケースもあることは付け加えておきたい。

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