
「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなん」。沖縄戦を指揮した帝国陸軍第32軍牛島満司令官の辞世の句だ。陸上自衛隊第15旅団がホームページに掲載していた。2024年6月に『沖縄タイムス』が報道すると、沖縄県内で住民犠牲への配慮のなさについて大きな波紋が広がった。
旧日本軍を意識した自衛隊の動き
沖縄戦では沖縄県民の4人に1人、戦後のマラリア死も含めると約15万人が亡くなったとされる。第15旅団は一度は県民の反発を受け止めてホームページから削除したが再掲。さらに、2025年4月に中谷元防衛相が辞世の句について「平和を願う印象」と国会答弁したことを受けて再び批判が高まった。
今年5月には、陸上自衛隊の幹部候補生学校で「本土決戦準備のため偉大な貢献をなした」という内容の学習資料が使用されていたことが『琉球新報』によって発覚。自衛隊の沖縄戦認識が批判を集めた。
戦後80年の年に、住民を巻き込んだ国内最大の戦闘となった沖縄戦の実相が顧みられないことで、沖縄の人々の怒りは高まっている。さらに、現在、「台湾有事」を想定して琉球諸島各地で急速な軍事化が進んでおり、再び沖縄が戦場となるのではという不安もその背景となっている。
本土と沖縄の間では沖縄戦をめぐる歴史認識論争が何度も繰り返されてきた。1982年の教科書の沖縄戦記述の矮小化、1984年の第三次家永訴訟(家永教科書裁判)。近年では2005年からの歴史修正主義者による「集団自決(強制集団死)」の教科書などからの記述削除運動、同年の元日本軍戦隊長と遺族が大江健三郎・岩波書店を訴えた「集団自決」訴訟、2007年の高校歴史教科書問題があげられる。
その度ごとに戦争体験者は自らの体験を証言として新たに訴え、沖縄社会が共有し、沖縄戦の継承がなされてきた。沖縄戦から学びとった住民の視点からの教訓を「軍隊は住民を守らない」「命どぅ宝」と言葉によって表したのである。
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