誰も本心では信じていない民意に全てを委ねる訳 「国民の意思」がデモクラシーを崩壊させる

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政治家やメディアがなんら実体のない「民意」を持ち上げることによって起きていることとは?(写真:Rhetorica/PIXTA)
7月10日には参議院選挙の投開票が行われる。選挙とは「民意」を問うものであり、民主主義の根幹をなす制度といわれる。だが、今日の不安定な政治や、国民の政治への無関心は、政治家やメディアが、なんら実体のない「民意」を持ち上げることによって、もたらされているのではないか。
ウクライナ危機、コロナ禍、グローバル経済の矛盾、民主主義の危うさなど、現代社会の重要な問題について、思想家・佐伯啓思氏が文明論的視座から論じた新刊『さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか』(幻冬舎新書)から一部抜粋してお届けする。

民意という亡霊がうろついている

「ヨーロッパをひとつの亡霊がうろついている、共産主義という亡霊が」というよく知られたマルクスの言葉にならえば、今日、「日本をひとつの亡霊がうろついている、民意という亡霊が」といってもさしつかえなかろう。

もちろん、マルクスとはまったく違った意味である。亡霊がやがて世界を支配することを期待したマルクスとは逆に、今日、われわれにとりついている亡霊は、われわれを破滅へと導くものかもしれない。

ここで亡霊という比喩が多少意味をもつのは、それが、実体でもないが、かといってまったくの幻覚でもない、という点にあろう。確かな存在でもないが、まったく存在しないというわけでもない。有と無の間を揺れ動く、この不確かであやふやなものがわれわれの社会に憑依(ハウント)している。憑依されたものは、「ミンイ、ミンイ」と騒ぐが、それが何を意味しているのかは誰もわからない。「ミンイ」では言葉の重みにかけるので、「国民の意思」と政治学風に言い換えても事態は変わらない。

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