誰も本心では信じていない民意に全てを委ねる訳 「国民の意思」がデモクラシーを崩壊させる
にもかかわらず、新聞、テレビ等のマスメディアを通して、連日、この言葉によって視覚聴覚を刺激されておれば、いつのまにか、「民意」やら「国民の意思」なるものが本当に臨在しているかのように思われてくる。姿形をもたない不確かなものを、あたかもそこにあるかのように捉えること、すなわち評論家の山本七平のいう「臨在感的把握」が生み出される。
「亡霊」というより「言霊(ことだま)」とでもいうべきであろう。「民意」や「国民の意思」という言葉が、何かある価値をもってひとつの規範となる。言葉の「霊」がわれわれを支配する。「言霊的臨在」である。
それが、この21世紀の、かつてない科学やデータの時代、両方合わせてデータ・サイエンス万能の時代にあっても、決定的な役割を果たしている。脳科学がすべてを解明できるかのように喧伝される時代に、「言霊」がわれわれの脳を占領するという不可思議な霊的憑依が生じているのだ。
もちろん、言霊的憑依現象は「民意」だけではない。今日、次々と新手のミニ言霊が浮かびあらわれる。「多様性」「LGBT」「データ」「実証」「可視化」「説明責任」「SDGs」「クリーンエネルギー」「脱炭素化」「改革」、それに依然として「経済成長」。少し前までは、「平和」「平等」「民主」「人権」が圧倒的に憑依能力をもっていた。その意味するものが不透明であるがゆえに、引用者の都合のよいように解釈され、一定の気分を伴って社会の空気を支配する。
ここで私が論じてみたいのは、もっぱら「民意」、つまり「国民の意思」である。この、有るとはいえないが、無いともいえない「憑依的存在(憑在)」が、どれほどデモクラシーと呼ばれる今日の政治を不安定化しているかが私には気になるからだ。
「民意」の便利使いをするメディア
一例をあげれば、2021年10月末の総選挙で、自民党も立憲民主党も議席を減らした。そこでたとえば朝日新聞は社説で次のようなことを書いていた。「甘利幹事長の小選挙区での落選は、自民一強体制への批判という民意の表明である」と。また、毎日新聞の論説には次のようにある。「与党も野党も決定的に勝たせない、というのが民意である」と。
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