第3の理由として、戦後日本の対中ODA(政府開発援助)政策において、それを戦時賠償の代替と位置づけると同時に、政治的な戦略よりも経済的な相互利益の追求を優先する傾向が見られた。また日本では、それにより中国の近代化や経済成長を支えてきたという認識が浸透している。実際に、そのような対中ODAが日中両国の経済的つながりを強化して、相互の利益を育んできた。
外務省のホームページの説明では、「1979年以降、中国に対するODAは、中国の改革・開放政策の維持・促進に貢献すると同時に、日中関係の主要な柱の1つとしてこれを下支えする強固な基盤を形成してきました」と記述されている。中国経済を成長させるために日本が協力することが、上に述べた戦後処理や歴史認識問題とも不可分に連動していたのである。
そして、その説明によれば、「対中ODAは2018年度をもって新規採択を終了し、すでに採択済の複数年度の継続案件については、2021年度末をもって全て終了することになります」という。だとすれば、「2021年度末」をもって、戦後の日中関係の歴史で1つの画期になったともいえる。
これらの理由から、日本は主体的で、長期的な視野からの対中戦略を持つことが困難であった。それによって、関係が悪化した際の短期的な日中関係の関係修復や、日中経済協力の強化、そして日中友好こそが、日本の対中政策の目標とされてきた。だがそのような時代も、終わりつつある。日本の長期的な国益を想定して、望ましい対中戦略を主体的に構築しなければならない時代が到来したのである。
日本にとって望ましい対中戦略とは何か
それでは、日本にとってはどのような対中戦略が望ましいのであろうか。
これまでの日本の対中政策は、中国の経済成長をODAによって支え、それを日本の国益とみなし、アジア太平洋で中国が建設的な役割を担うことを期待することをその基礎としていた。それが大きく動揺している。
1972年に日中国交正常化を実現した際にその基礎にあったのは、自民党内の中道的な立場にあった田中派(経世会)の領袖(りょうしゅう)の田中角栄首相と、リベラルな立場にあった大平派(宏池会)の領袖の大平正芳外相の2人の協力であった。他方で、党内で保守の立場にあった福田派は、親台湾派の議員を多く抱え、台湾との関係を断って北京の共産党政権と外交関係を樹立することへ、躊躇する姿勢も見られた。
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