正常化を経て巨大な変化を遂げた日中関係
日中国交正常化からの半世紀、日中関係は巨大な変化を遂げた。1972年、日本のGDPは中国の約3倍だったが、現在、日本の経済規模は中国の3分の1である。1972年、対中貿易額は全体の2%だったが、いま、それは4分の1弱まで高まっている。国防費は1989年の時点で日本は中国の2.4倍だったが、現在、中国は日本の5.4倍に膨張している。両国は尖閣諸島の領有権をめぐって争っており、台湾海峡の緊張と合わせて、中国は日本の海洋安全保障と日米同盟に対する根本的な挑戦を投げかけている。
正常化によって中国を国際社会に迎え入れ、中国の経済を“離陸”させ、国民の生活を豊かにすることが日中関係の安定、発展にも望ましいとの期待が当時はあった。しかしいま、戦狼外交を繰り広げる習近平体制下の中国はそうした期待をことごとく裏切る存在として受け止められている。日本の国民のうち中国に「よくない印象」を持っている人々は90%強に高止まりしている。中国においても依然66%が日本に「よくない印象」を抱いている。双方とも相手に対する嫌悪感の岩盤が凝固している。半世紀前の正常化イニシアティブの帰結が、この岩盤数字であることをどう考えればよいのだろうか。
正常化の後の世界の地政学的衝撃が日中関係の文脈を変え、新たな挑戦を双方に突き付けた。天安門事件・ソ連崩壊、リーマンショック・尖閣領有権問題、そしてコロナ危機・ウクライナ危機という3つの時代を画する分水嶺があった。
1989年の天安門事件は「社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である」(1972年「日中共同声明」)との前提を揺さぶった。グローバル化が進む中、普遍的価値・原則に係る問題を中国が体制「内部」の問題として処理することを民主主義国が黙認することは難しい。日本はG7の国々とともに対中経済制裁を実施した。中国は、日本の歴史問題を武器化することで応えた。また、1991年のソ連の崩壊は中国にとっての日本の戦略的価値を低下させた。それまで「歓迎はしないが受け入れる」立場で許容してきた日米同盟を中国は敵視するようになった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら