しかし、それ以前のヨーロッパでは、神の教えが記された聖書が唯一絶対の真理であると考えられていたので、キリスト教は人々の思想だけでなく、政治や学問までも支配していたのです。それゆえに、聖書の内容と矛盾する学説や教会と真っ向から対立する学説は、たとえ科学的に裏付けられた学説であったとしても、社会的に抹殺または迫害される傾向が強かったわけです。
要するに、西ヨーロッパの社会では絶対的な神の権威を信じるあまりに、学問における思考が停止している状態に陥っていたわけですが、現代の経済学においても、アメリカの主流派経済学を信じる識者のあいだでは、絶対的な権威を前にして思考の停止が起こっているように思えてなりません。
ポール・クルーグマンやベン・バーナンキなどの権威の前に、リフレ派と呼ばれる識者たちは自分で歴史やデータを客観的に分析する行為そのものを敬遠してしまっているに思われます。
リフレ派の識者たちの言質で私がいつも気になっているのは、「クルーグマンは……と言っている」とか「バーナンキは……と言っている」とか「世界基準では……である」といった言い回しを多用する傾向が顕著に見られることです。リフレ派の識者たちは経済学の権威の前に思考停止の状態に陥ってしまっているために、こういった間違った理論が未だに正しいと信じたいと思っているばかりか、物事の道理や本質がまったく見えなくなってしまっているように思います。
三井:なるほど。そのような考えから、中原さんは著書や連載などでアベノミクスに対する批判を展開してきたわけなのですね。このたび東洋経済新報社から新刊を出されましたが、この本で一番に伝えたいこととは何でしょうか。
中原:読者のみなさんに「経済政策とはいったい誰のために存在するのか?」ということを考えてもらいたいと思い、今回の『これから日本で起こること』を書き上げました。 経済政策とは富裕層のためにあるのか? 中間層のためにあるのか? 貧困層のためにあるのか? あるいは、大企業のためにあるのか? 中小・零細企業のためにあるのか? もう一回みなさんに考えていただく機会になればと思っています。
「誰のための経済政策なのか?」という問いかけは、いま大ブームとなっているフランスの経済学者・ピケティ氏の主張にも通じていることだと思います。ケインズの師匠でもあるケンブリッジ大学のアルフレッド・マーシャル教授は、学生たちをロンドンの貧民街に連れて行き、そこで暮らす人々の様子を見せながら、「経済学者になるには冷徹な頭脳と暖かい心の両方が必要である」と教え諭したと言われています。
アメリカの主流派の経済学者たちも、それを支持する識者たちも、アルフレッド・マーシャル教授と同じ志を持って、経済の構造変化に気付かずにインフレ政策を志向してきたアメリカでいったい何が起こっているのか、アベノミクス以降の日本で国民生活がどうなっているのか、そういった現実を直視しながら国民生活を苦難に導くアベノミクスを再考すべき時期にきていると、私はこの新刊を通じて強く訴えたいと思っています。
また、私のことを「もっとも予測が当たるエコノミスト」と評価してくださる方も多いので、その期待に応えるべく、為替市場で円安が進むことによって、これからの日本にいったい何が起こるのか、マーケットはどう動くのか、最終的にはどういった結末が待っているのかなどについて、これからの政府と日銀の対応が非常に読みづらいなかで、私なりの分析や予想も伝えたいとも思っています。
(第2回に続く)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら