日本の食料自給率向上を「米国が絶対許さない」訳 米国にとって日本は「食料植民地」となっている
敗戦後の日本への食料支援や、その後の学校給食もパンと牛乳で普及していったように、アメリカ側には日本に洋食文化を浸透させるためのしたたかな側面もあった。洋食化と同時に肉食が浸透すれば、畜産のための飼料穀物も必要になる。
いまウクライナでは、ロシアの侵攻が終焉したあとの“マーシャル・プラン”の必要性が叫ばれている。マーシャル・プランとは、第2次世界大戦で戦場となった欧州の復興支援に乗り出したアメリカのプロジェクトのことだ。このときにアメリカは食料を武器に使った。
第2次大戦中から、アメリカは国家を挙げて食料の増産体制に入る。ホワイトハウスの敷地内に農園を造った逸話は有名で、それだけ国威発揚を目指したものだった。しかし、それは日本のように本土を攻撃されて極度の食料不足に陥ることを防ぐ、国民のための食料備蓄対策でなかった。
やがてこの戦争に勝利した段階で、欧州にソビエト連邦が進出してくることは、すでに見えていた。いずれは冷戦構造ができあがっていく。そのときに、どれだけ多くの欧州諸国を西側に取り込むことができるか。そこで戦後復興支援としての食料援助が役に立つ。そこを見越した食料増産だった。いままたウクライナで叫ばれるように、このマーシャル・プランが功を奏して欧州諸国は復興を遂げていった。
余剰を解消するための新しい市場が日本だった
だが、戦後も10年が経つと、欧州でも独自で食料が供給できるようになった。そうなると、アメリカが取り組んできた増産体制は、むしろ余剰を生む。それも年々増していく。そのためには、新しい市場が必要になる。
そこへ現れたのが日本だった。小麦やトウモロコシ、大豆といった穀物はアメリカのほうが生産効率は遙かに高く、日本にとっても国内生産よりも安く手に入る。双方の利益が合致する。日本は食料自給率の低下と引き替えに、アメリカの余った穀物を買うことを約束した。それが日米新安保条約の持つもう1つの意味だった。
そんなアメリカ農業にとっての確実な市場である日本を失うワケにはいかない。自給率を向上させてしまうと、市場を奪われることになる。そうはさせない。それは1980年代の日米貿易摩擦の顛末を見ればわかる。
新たに構築された日米循環型の貿易構造のはずが、1980年代になるとアメリカが対日貿易赤字を抱えるようになる。貿易黒字で潤う日本に厳しく市場の開放を求めた。日本製の自動車を目の敵にして、アメリカの農産品をもっと買えと迫った。「どちらが戦勝国かわからない」と発言したアメリカ政府の関係者もいた。結果的に日本は1991年、それまで国内農家の保護を楯に規制していた牛肉と柑橘類の輸入自由化に踏み切っている。
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