「トラック運転手→火葬業」男性が見つけた"天職" いったいなぜ25歳でこの道へ進んだのだろうか

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このほか、人の目や手が必要になるのは、収骨の時に誰からも尋ねられる「のど仏」を、なるべく奇麗に残す時だ。志賀さんは「のど仏は首のお骨ですが、頭の火葬が終わり身体の火葬に移る時に、外れてしまいます。外れる瞬間に飛んでしまって、どこに行ったのか分らなくなったりします。それを防止するように工夫しています」と説明する。

現場での仕事が天職だと言う志賀正直さん。

「火葬」後の「収骨」の時にも、喪家の要望は、制限内で対応できることは極力対応するようにしている。要望で比較的多いのは、分骨だそうだ。

「分骨を希望する方は、事前に申し出ていただくことになっているのですが、収骨の時に急に言われる方もいらっしゃいます。そういう場合にも断らずに対応するようにしています。喪主様に、少し時間がかかってしまいますが、よろしいですかと確認して、よろしいということであれば、その場で入れ物を用意し、書類を発行します」

このほか、収骨の仕方に対する要望もある。収骨の仕方は、喪家が2人1組になり、お骨を箸ではさんで骨壺に収めることを喪家全員が一通り終えた後、残りのお骨は火葬業務員が骨壷に収めるのが一般的だが、お骨全部を自分たちで収めることを要望する喪家もいるのだという。

そうした場合でも、「要望に添います。葬儀のやり方は、大雑把な決めごとだけで、あとは喪家によって違っても良いと思うのです。火葬業務と言えども、心のサービス業だと思いますので、喪家の要望をできる限り叶えてあげることが一番重要だと考えています」と志賀さんは改めて強調する。

今は現場を離れたが…

このようにして20年間火葬場で勤務してきた志賀さんは、現場実績を買われて2017年7月に東京支社の営業管理部に異動。現在は火葬場の職員の管理指導などに当たっている。

今後の抱負について尋ねると、「ご遺族の方に直接お会いすることは少なくなりましたが、20年間現場でやってきて、こうしたい、ああしたいと思っていたことができる立場になりましたので、火葬業務員たちの地位向上、職員の育成などに心血を注いでまいります」と語る。

実は、志賀さんは、営業管理部に異動してからも月に数回は、現場に入って火葬業務を行っている。現場の最新の状況を把握して、現在の業務に生かすためだが、定年退職後は、再び現場で火葬業務を行いたいという希望を持っており、その時のために感覚を鈍らせたくないという思いもあるそうだ。

志賀さんは、「私は、現場で行う仕事が天職だと思っているのです」とした上で、「当社は定年後も嘱託として働けます。現場の仕事も昔と違って力仕事では無くなり、年配になっても結構長く働けます。ですから、現在の仕事がお役御免になったら、現場に戻して欲しいと上席にも話しています」と語った。

前回:「20代で故人と向き合う仕事選んだ彼女のやりがい
前々回:親から反対も19歳で「湯灌師」目指した彼女の決意
塚本 優 終活・葬送ジャーナリスト

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つかもと まさる / Masaru Tsukamoto

北海道出身。早稲田大学法学部卒業。時事通信社などを経て2007年、大手終活関連事業会社の鎌倉新書に入社。月刊誌の編集長を務める。2013年フリーライターとして独立。ライフエンディングステージの中で「介護・医療」と「葬儀・供養」分野を中心に取材・執筆している。ポータルサイト「シニアガイド」に「終活探訪記」を連載中。「週刊高齢者住宅新聞」などに定期寄稿。

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