東大教授が熱弁「キングダム」が経済学的に深い訳 経済学者・小島武仁氏が64冊一気読みして分析

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――ここからは30話より先の話に具体的に触れていきたいと思います。龐煖については、軍に参加していないときは山奥で修行し、「求道者」として「武神」を目指す、というあり方が、ストーリーの中でも異彩を放っています。

龐煖は戦場で夜間に単独行動を取るなど、味方にとっても行動を読みにくい人。勝手気ままに行動しているようでもあり、こういった人が実際に身近にいたら困りそうです。が、経済学に引き寄せていうと、龐煖のあり方は、ゲーム理論分野で研究対象とされている「レピュテーション(評判)」の問題を考える際の典型的な例になるように思いました。

どういうことかというと、いわゆる「変わり者」タイプの人間であることに本人がコミットし、実際に「変わり者」として行動すると、周囲も「そういう存在」として扱ってくれるようになる。「この人だから、そういうものだ」として物事が進む。そんな話です。

龐煖が自分自身の目指す道、武力を極めたい人で、通常の交渉が不可能な相手であることは、本人の態度からもわかるし周りもそのように理解している。同時に、そんな龐煖が自陣営についている、一応は味方として戦っているとなると、兵士たちはその強さを恐れつつ、多くの敵を倒してくれる存在と見なして心強く感じたりするわけです。

桓騎はレピュテーション問題に関する象徴的な人物

レピュテーションに関する話は、実は『キングダム』には結構あって、もう1人象徴的なのが19巻で登場する、野盗の首領から秦の将軍になり多くの武勲を上げてきた桓騎(かんき)というキャラクターです。

41巻以降に描かれる趙への侵攻における黒羊の戦いで、桓騎は戦場になった地域に存在する民間人の集落を襲撃し、残虐行為を行う。そして、交戦中の敵軍に犠牲者の姿を見せつけることで、敵である趙軍の行動を変えさせた。

©原泰久/集英社

桓騎の残酷さは広く知れ渡っていて、彼は評判どおりのひどい行動を取った。そのうえで趙軍を指揮する将軍に「次はお前の街を攻撃し、これ以上の惨劇を起こす」といった宣言をする。すると趙の側は「桓騎は本当に残酷な人間で、宣言どおりにもっとひどいこともやりかねない」と考え、街を守るために、有利に進んでいた作戦を放棄する。

あってはならないひどい話ですが、事前に作っていたレピュテーションに加え、さらに非戦闘員の集落を襲撃したことで、宣言が現実的な危機だと思わせることに成功し、譲歩を引き出した。ネゴシエーション(交渉)でいうタフガイ的な振る舞いです。

――現実の戦争を彷彿とさせる、読むのが苦しい場面でもありました。

ええ。今取り上げた戦いのような個別の話には創作が多いと思いますが、『キングダム』は大枠が史実に沿って展開しますし、世界情勢が混乱の中にある今はとくに、単純にエンターテインメントして読むのは難しい作品にも思えます。一方で、人が繰り返してきた戦争の残酷さやその背後にある思惑をどう理解し、世界が現実にどのように向き合っていくのか考えるという点では、今、読む意味は大きいと感じます。

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