名門中学進学のため父を残し引越した家族の決断 6年伴走した両親が最後に見たわが子の成長

✎ 1〜 ✎ 17 ✎ 18 ✎ 19 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
ある進学校に合格した河崎健太さん。それに至る家族の数々の決断とは?(写真:Ushico / PIXTA)

重厚な正門からは歴史を感じさせる本館が見える。全国屈指の進学校として有名なこの学校に、河崎健太さん(仮名、当時13歳)はコロナ禍の中で見事合格した。

長く目標にしてきた第一志望校。そこに合格できた健太さんと父母の歩みはどんなものだったのか。その軌跡からは、これから中学受験を目指す親子が参考にできる点がいくつも見えてくる。

冷静な母、前のめりな父

地方都市で暮らす河崎家が中学受験を意識したのは、健太さんが小学校に上がってすぐのとき。もともと地域にある大学の付属小学校の受験をしたが、まだ幼さの残る健太さんは不合格に。地元の小学校に通い始めたが、冬には地元大手の塾に入塾をした。

この連載の一覧はこちら

当時、母親の和美さん(仮名)は中学受験を本気で見据えていたわけではなく、地元の公立高校を目指していけばよいと考えていた。

「私は中学受験の経験もありませんし、地方はまだまだ公立高校が上位ですから、小学校の勉強の補習くらいという気持ちでした」

ところが、父親の達夫さん(仮名)の思いはすこし違っていた。

達夫さんは地元の公立中学から公立の進学校に進み、そこから旧帝大の医学部へ。医者になり、大学病院で研究をする身になると、学会などでトップレベルの中高一貫校出身者たちの強固な母校愛やネットワークをたびたび目の当たりにした。

「せっかく塾に行くのなら、トップの私立校を狙おう」

ところが、夫が目指そうと言い出した中学は自宅から通える距離でなく、新幹線で数時間はかかる距離だ。母親の和美さんには、聞いたこともない学校だった。息子はどちらかと言えばおっとり型で、競争心をかき立てられて燃えるタイプでもない。夫は本気で言っているのか?と、半信半疑のまま通塾生活は始まった。

「受験は本人がやる気にならなければどうしようもないことは、小学校受験のときに体験していましたし……。家であまり勉強の話はしないようにしていました」

次ページ和美さんの気持ちが変わったきっかけ
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事