「自治体消滅論」はがさつ、農山村は残る 「誇りの空洞化」を克服すれば消えない

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(写真:かみすけ/Imasia)
「消滅論ショック」が地方の市町村を覆っている。実際は、先行して過疎化、超高齢化と向き合ってきたのが農山村であり、難関を突破しつつあるという。『農村山は消滅しない』(岩波新書)を書いた明治大学農学部の小田切徳美教授に聞いた。

──「農山村は消滅しない」のですね。

現場の農山村で「消滅論」の副作用がものすごく出てきている。消滅の議論は一言でいえばあまりにもがさつ。推計の問題は制約があるから精緻化すればいいが、それだけではない。集落、農山村には強みもあれば弱みもある。現場を年50回は歩く研究者として、消滅しないという立場を踏まえ、議論テーマを左右どちらかに偏らせるのではなくあえて中央に寄せて丁寧に検証した。

──農山村では「三つの空洞化」が進んでいるのですか。

人、土地、ムラにおいて、つまり農家世帯数、経営耕地面積、農業集落数を指標として空洞化が段階的に押し寄せてきて、今はこの三つの空洞化が折り重なるようにして進んでいる。この段階というところに意味があって、それぞれの段階が始まったときに過疎、中山間地域、限界集落という造語を新たに作らねばならないほどの現象が起こっている。

過疎という激しい人口減少は旧島根県匹見町を対象にして生まれた造語。初めて記述されたのは1964年ごろだった。1980年代中ごろには耕作放棄という問題が急速に出てきた。その問題を取り上げるに当たり、中山間地域という呼び名を農林水産省が使いだした。そして1991年に社会学者がいくつかの集落を限界集落と命名する段階に至り、今やそれらの現象が至る所で重層化している。

誇りを失えば「砂上の楼閣」だ

──この本では同時に現地の人々の「あきらめ」や「誇り」「思い」にも光を当てています。

そこが特長だ。誇りの空洞化やあきらめは、いわば三つの空洞化の基礎部分に位置している。人々がその地域に住み続けることの誇りを見失ってしまえば、どんな対策をつぎ込んでも「砂上の楼閣」になる。たとえばUターン対策も意味を失う。そこに住み続ける人の意識の問題を含めて農山村の実態をとらえなければ意味がない。各種の数字以上に深刻な「誇りの空洞化」もありうる。

──中国地方の例が多い。

解体と再生のフロンティアという言い方をするが、解体があればそこに必ず再生がある。作用反作用のような動きが地域づくりの中にもあって、その意味では、最も厳しく過疎化へと先発した中国山地が再生の動きでも先行している。これは明確な地域性と言える。過疎から半世紀。同時に東京オリンピックから50年。今は、地方消滅論と新東京オリンピックの開催準備。何やら因縁があるようにも見える。

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