人が死ねば星になり、星が死んで人になるの真理 人や社会や自然と交わりあいながら輪廻している
地球が太陽の周りを100回ほどまわるうちに、あなたも私も生物としての死を迎えます。
その時が来ると、体は小さく分解されて地球へ還っていきます。
「自分」だった微粒子たちは、おそらくは地上付近を別の形であっちへ行ったりこっちへ行ったりするのでしょう。反対に、たった今の自分の体の一部は、もしかしたら1億年前は恐竜の一部だったかもしれません。
地球での命の相互作用は、どれほど長くても太陽の寿命と一緒に終わります。地球も宇宙に還る日がやってくるのです。
その時、私たちだった一つひとつのかけらもようやく本当の意味で宇宙に還り、太陽系だったものたちと一緒に、次の新しい星や惑星へと生まれ変わる旅に出るのでしょう。
結局のところ、みんな星くずなのです。
ほんのひととき、星の破片が濃く集まっている
あなたも、私も、動植物も、山も、川も、渓谷も、かつて数十億年前は星でした。
今は宇宙のこの場所でほんのひととき、星の破片が濃く集まっていて、いつかまたまわりに混ざり合うまでのあいだ、「あなた」や「私」や「動植物」や「山」や「川」や「渓谷」として形をもっているのです。
冒頭の“つまようじ”はこう続きます。
たどりついているのだ!
もう いまは…
この世のぜんぶの生き物が
そこへと かえっていく
ふるさとに…
(『続 まど・みちお全詩集』伊藤英治・市河紀子編 理論社)
富田先生が「星が死んだら人になる」と言ったのも、まど・みちおさんが“つまようじ”の先に見たのも、星が生まれて死んで、大地になって、そこに命があること、物があること、物質の大きな流れと悠遠の時間の中で、自分たちが今ここで出会っていることへの、おどろきと、歓びと、畏怖だったのです。
今夜あなたが目にする星の光は、いつかの誰かだったかもしれないし、未来の誰かかもしれません。空を見上げて物を想うのは、そこが私たちの本当のふるさとで、いつか還る場所だからなのでしょうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら