自民党・小野寺氏「日本に反撃能力が必要な理由」 「中露北3カ国連携の複合事態へ危機感持つべき」
橋下徹氏(番組コメンテーター、元大阪府知事、元大阪市長):日本の安全保障議論で大混乱しているのは、戦争前の話と戦争(開始)後の話がごっちゃになっているから。弾道ミサイルを日本が持ったからといって、モスクワを攻撃するかどうかというのは戦争(開始)後の話だ。そのときには抽象的な理念よりも、目の前の国民のことを考えて、国民が犠牲にならないような軍事力の行使をしなければいけない。(弾道ミサイルを)持ったからといって必ずそれで攻撃するかどうかは別の話だ。それはきちんと政治が国家の破滅に至らないような武器の行使の仕方をしなければいけない。ただ、戦争前の話で、小川さんに考えていただきたいのは、憲法9条問題、自衛のための措置に関する砂川判決の「国際情勢の実情に即して適当と認められるものを選ぶことができる」ということ。政治家がきちんと適当なものを選ぶはずがいつの間にか内閣法制局の解釈で「必要最小限」の枠を勝手にはめてしまった。自衛権はもともとは必要性と均衡性、即時性だ。均衡性は相手に合わせてこちらも力を持つと。戦争が始まらないように、相手の力に合わせてこちらもそれなりを持つということが、いつの間にか内閣法制局の「必要最小限」になってしまった。相手が弾道ミサイルを持つのであれば、こちらも持つべきだ。相手が長射程(ミサイル)を持つのなら、こちらも持つ。そのことによって戦争を防ぐ。ただ、いざ戦争が始まり、それを使うかどうかは国民が犠牲になるか、ならないかをもとに判断する。この整理は必要だ。
日米安全保障条約、77年の歴史
小野寺氏:「必要最小限」という言葉があるが、自衛隊が災害救助に行って国民を守っているときに「必要最小限にしてほしい」とは誰も言わない。災害救助でも国民を守る。日本が攻撃されたとき、日本の国民があのように(ウクライナ国民のように)やられているときには、自衛隊は全力で国民を守る。必要最小限というのは「必要なときには合理的な範囲の中で対応する」ということ。
小川氏:白地から議論するのならそのとおりだ。戦後77年、日本は日米安全保障条約体制下で特殊な歴史を歩んできた。仲間がいないと攻撃されるという議論に関しては、日米安全保障条約という確固たる条約がある。打撃力をアメリカに頼った状態で、日本としては専守防衛、盾の役割をやっていくという関係性の下で77年歩んできた。それで言うと、相手領域内への打撃力を日本が持つと、それが先制的な攻撃になる可能性がある。その尻を拭く形でアメリカが出動するのか。