3年前のウクライナの記憶に辿る戦時対応の背景 オックスフォードのディベートの観点から考える

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紛争の現状を今の時間軸だけで見ていると、適切な判断ができないこともあります。オックスフォードのディベートで重要なのは、「川を上る」という議論を行う際の観点です。これは、現在の課題がどのような歴史的経緯で起こっているのか把握する方法です。

今回紹介するユーロマイダンは、2013年末に始まったウクライナの市民デモや暴動の総称です。旧ソ連時代の支配と、その崩壊によるウクライナ独立、その後のEUとロシアの間で揺れ動く同国の問題が沸点に達した事件です。

詳細は、後で述べますが、これを検証することなしに、ゼレンスキー大統領の言動を評価するのは、やや早計と思われます。

なお、筆者がウクライナの調査を行ったのは2019年で、すでに時間が経過しています。しかも、その時に手伝ってもらったキーウの現地ガイドとは、現在連絡が取れなくなってしまいました。このため、ここで記載する内容を、今の時点で検証できないことを予め述べておきます。また、余談の許さない状況で念のため、個人名は仮名とさせていただきます。

キーウ出身の物理学者サーシャ

オックスフォードは不思議な所で、カレッジのディナーだけでなく、各種セミナーや、趣味のクラブでさまざまなネットワークが自然にできます。異分野の研究者が集った際に、たわいもない雑談から研究の種が生まれたりします。

キーウのビジネス調査ができたのは、友人の物理学者サーシャのおかげです。彼はウクライナやドイツで優れた研究実績を残した後、オックスフォードの物理学科に研究員として招聘されていました。

私たちは、芝のコートで活動するテニスクラブに所属していました。夕暮れ時になると、大きな体をゆすりながら、その日の研究を終えた彼がコートに姿を見せます。腕前はそれほどではないのですが、終始にこやかでボールを追うサーシャは、とても慕われていました。彼のキーウでの研究者としてのキャリアは、相次ぐ政変で困難になり、ドイツの研究所に移りました。

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