カナダの市民病院が一時「国外」にされた歴史の妙 東ドイツが終わったのは不用意な一言が引き金
王女が歩く場所は「治外法権」
1940年、ヒトラー率いるナチス・ドイツがオランダに侵攻したとき、オランダ王室は国外へと亡命を図りました。ユリアナ王女はカナダの首都オタワ郊外へと避難し、そこで第3子を妊娠します。
ここで起きたのが後継をめぐる問題。オランダ憲法では、王位継承権について「他国の土地で生まれた場合、王位継承の列に入ることはできない」と定められていたのです。
大使館は外交特権を持っていますが、領土的には依然として駐在国の一部と見なされます。そのため、仮にカナダ国内のオランダ大使館で出産したとしても、その子はカナダ出身となり、王位を継ぐことはできません。だからといって、ナチスが支配するオランダに戻ることはどう考えてもいい選択肢ではありません。ユリアナ王女はジレンマに直面します。
この状況に、カナダ政府と多くの優秀な弁護士たちが立ち上がり、王女と生まれてくる子の救済に乗り出します。彼らは生まれてくる赤ちゃんのために「治外法権区域」を作り出す法律を完成させたのです。
もっともシンプルな解決策は、特定の場所を治外法権区域として指定することでした。しかし、これだと王女が散歩中に産気づき、赤ちゃんが誤ってカナダの土地で生まれてしまう余地を残します。
この問題は、「オランダ王位の推定相続人が監禁に相当する状態にあり、その状態下で新しい王位の相続人が誕生する場合、その場所に治外法権の性格を与える」という文言にすることで回避することができました。
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