カナダの市民病院が一時「国外」にされた歴史の妙 東ドイツが終わったのは不用意な一言が引き金
しかし、そんな東側陣営も徐々に綻び始めます。1980年代にソ連のミハイル・ゴルバチョフが情報公開(グラスノチ)に乗り出し、秘密警察がソ連戦車の脅威という後ろ盾を失ったことが明白になると、東ドイツ終了のカウントダウンが始まります。
ポップスが連日聞こえてくるように
壁の向こう側からは、『ヒーローズ』(ボウイ)や『ルッキング・フォー・フリーダム』(ハッセルホフ)といったポップスが連日聞こえてくるようになりました。
そして、東ドイツ政治局は渡航禁止措置の緩和をアナウンスします。記者会見で「いつ実施されるのか」と聞かれたのは、運の悪いことにギュンター・シャボフスキー。彼はメディアに回答する責任を負っていましたが、その日に限ってこの計画が徹底的に議論された会議に出席していなかったのです。
頭をかき、肩をすくめ、彼は答えを口にします。「直ちに」。すると、人々が壁に殺到。彼の予期せぬ一言で、東西ドイツの分断が1990年に終わりを迎えます。
カナダの人々が王女と赤ちゃんを救うため、知恵を出し合って「治外法権区域」を作ったり、シャボフスキーの一言で東ドイツが終わった歴史に触れると、国ができるも終わるも人間次第で、思わぬ背景で世界地図が変わることを実感します。治外法権区域という解決策を導いたカナダのようなフレキシブルな思考を持ちたいと思いつつ、不用意な一言には気をつけたいところです。国がなくなることさえあるのですから。
第1回:クリミア併合に何の意味があったか知ってますか(4月4日配信)
第2回:「他国に守ってもらおうなど甘すぎる」歴史の教訓(4月11日配信)
第3回:国境「引き間違え」で生まれた国の辿った歴史の妙(4月18日配信)
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