「母親が殴られる」中3で逃げた少年に残った葛藤 感情を押し殺し続けた経験に今も苦しむ

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母親の恋人との生活で、感情を殺して過ごしてきた亮太さん。彼が振り返る子ども時代と現在とは?

「自分や弟が何か気に入らないことをすると、母親が(同居の男性から)殴られるんです」

小学生のときに両親が離婚し、その後は母親の交際相手の男性と暮らしていた亮太さん(仮名・20代)。当時、感情を殺して過ごしてきたせいか、今でも人との付き合い方や、「ふつうの家族」がわからず、悩むことがあるという。

国立大学を出て就職し、現在は妻と幼い娘と3人で暮らす。周囲からは「ふつう」に生きてきたと思われているが、本人の実感とはほど遠い。

「大人はわかっていない」と感じてきたことを、亮太さんに話してもらった。

「気のいいおっちゃん」、スイッチが入ると別人に

はじめは両親と弟と4人暮らしだった。幼稚園の頃、父方の両親と2世帯住宅で暮らすようになったが、穏やかな暮らしは続かなかった。祖父母と母親の折り合いが、次第に悪くなっていく。祖父母が2世帯住宅の資金をある程度出していたことも、関係をこじらせた要因のひとつだったらしい。

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少し前に友達の親が離婚していたので、「うちも同じようになるのかな」という予感はあったが、「まさか、そんなことにはならないだろう」とも思っていた。夜になると、母親がどこかへ出かけるようになる。小学3年生のとき、ついに両親が離婚した。誰かを信じることが苦手になった、最初のきっかけだった。

亮太さんと弟は、母親と3人で暮らし始めた。引っ越し先は近所だったため転校はせず、また母親が気をつかって苗字も変わらないようにしてくれたが、離婚の噂はどこからか広まった。同級生にからかわれたときは、別の友達がかばってくれたと記憶している。

ときどき、1人の男性が家に夕飯を食べにくるようになった。たぶん離婚する少し前から母親が会いに行っていた相手だ。次第に家を訪れる頻度が高くなり、泊まっていくことが増え、一緒に暮らすようになった。「母を盗られた」と亮太さんは感じていた。

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