「一度、母親から『(その男性が)お父さんになったらどう?』みたいなことを聞かれたんですけれど、自分としてはやっぱり、以前一緒に暮らしていた父親しか父親はいないので、『それは嫌だ』と強く反対した記憶があります」
結局、婚姻届けは出されなかったものの、男性は事実上、母親のパートナーになった。亮太さんは気持ちの整理がつかず、感情を押し殺して過ごした。この時期のことは、あまり記憶に残っていない。小6の頃、4人で少し広い住宅に引っ越した。
中学2年の頃だった。ある夜、食卓で男が母親に「ビール」と言い、亮太さんが「自分で取れよ」とつぶやいたところ、男は激昂した。亮太さんが謝らなかったところ、男は夕食後に母親を呼んで、暴力を振るった。
「『ああ、なるほどな、そうなるんだな』って。自分が言うことをきかなかったら、母親のほうにいくんだな、という」
自分でない他の人に「理不尽」が向かう
その後も、亮太さんや弟が何か気に入らないことをすると、男はいつも母親に手をあげるようになった。「自分が何かをすれば、誰かほかの人に理不尽が向かう」と思ってしまう「癖」が亮太さんについたのは、この頃だった。
「身体を使う仕事をしていて、体格がいい人でした。ふだんは『気のいいおっちゃん』という感じなんですけれど、スイッチが入ると何もわからなくなり、自制がきかなくなる。大人しくしていればいいんだけれど、精神的に休まらなかったですね」
男性にも離婚歴があり、離れて暮らす息子がいた。名前は、彼と同じ「りょうた」だった。自分が一度も殴られなかったのは、実の息子と同じ名前だったからだろうか、と考えることがある。
亮太さんはそれでも、学校には「ふつうの顔をして」通った。人を笑わせることが好きだったので、周囲にはひょうきんな表情しか見せなかった。「家のことがバレてはいけない」と感じていたので、友達や先生に家族のことを相談するなど考えもしなかった。
中学に入りしばらく経つと、勉強にも打ち込むようになった。心に渦巻く苦しさを、勉強にぶつけていたのかもしれない。弟からも後に「あのとき、すごい勉強してたな」と言われた。やった分だけ目に見えて成績が上がる勉強は、当時の亮太さんにとって、ひとつの救いだった。
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