デジタル化「進まぬ日本」「成功する台湾」決定的差 上から強制するのではなく「選択肢」を与える
堤:面白いですね、日本では今、その「印鑑」が、時代遅れで非効率、リモートワークの邪魔になる、として「印鑑文化脱却」の声が大きくなっているんですよ。でもあなたがおっしゃったように、「利便性」より「信頼性」という視点で捉えると、第3の道が見えてきますね。本人に選ぶ余地を与えるという、民主主義になくてはならない大切な要素が。
どんなに便利でも、すべての人が同じスピードでデジタル化を望んでいるわけではないのに、私たちはつい「便利=正義」の前提で話を進めてしまいます。デジタルは便利だけど、これについてはやっぱりアナログのほうが好き、という人もいますからね。
タン:いますね、それもたくさん。
堤:テクノロジーの進化はいつも、少し先の未来をまぶしく見せるから、私たちはつい、人間のメンタリティーとの時差を忘れてしまう。でも、少し立ち止まって、例えば「民主主義」という軸でもう一度考えてみると、ここで「選択肢を与える」かどうかが、その後やってくる社会の明暗を分けるのではないか、と思うのです。
タン:私もそう思います。強くそう思う理由は、デジタルはほかに選択肢がなければ、権威主義的なものになってしまうからです。デジタル化によって国民がリスクを減らしたり、時間を節約したりできるよう支援するはずだったのが、デジタル技術への適応を強制してしまっては、権威主義になってしまい本末転倒です。台湾でわれわれ政府側はつねに、強制ではなく支援するほうにフォーカスしたいと考えています。
NY同時多発テロで国民の監視が進められた
堤:政府としてその視点を持ち続けることは、本当に大切ですね。私は2001年にニューヨークで同時多発テロが起きた時、隣のビルで働いていたので、あの直後のアメリカ社会の空気を今もよく覚えています。
まるでテロという非常事態によって、政府が「伝家の宝刀」を手にしたかのように、憲法や現行法を超えたさまざまな行動規制や情報統制、当局による国民の監視が進められていきました。コロナ禍でも緊急事態の下、多くの国であのときのアメリカと同じ光景が繰り広げられていますが、民主主義にとって極めて危険な兆候です。
そこで今、お話を聞いていて大変興味深かったのが、今回コロナ禍にもかかわらず、台湾がその権力を行使しなかったという部分です。政府の感染症対策は、あくまでも憲法の枠内で行われていたということですか。
タン:そうなんです。今、ミカ(堤)が言ったような、「総統令を出して、議会が後日それを承認する」というようなことを、今回台湾はいっさいしていません。なぜならわれわれ政府は、さまざまな問題を伴うこのパンデミックとの闘いを、国民を置き去りにして進めることはできないと、確信しているからです。
国民が科学的理由を理解できないまま、ただ上からの命令に従わせていたら、たちまち彼らは疲弊して、政府への不信感が生まれてしまいます。命令は短期的には効果があるかもしれませんが、今のようにパンデミックが長期化している状況では、逆に大きなマイナスになるのです。