「韓国とは何か」を問い続けた「知の怪物」の思考 『「縮み」思考の日本人』著者・李御寧の日韓論

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そんな李御寧氏は、日本でいうなら、いったいどんなイメージの人物なのか。文芸評論家だった小林秀雄が文化行政の省の大臣になったようなものであり、政治学者・思想家だった丸山真男が新聞の論説委員になって、ありとあらゆることを論じるようなものであり、生態学者・比較文明学者だった梅棹忠夫がオリンピックの開会式を演出するようなものであり、哲学者だった梅原猛が新しいミレニアムの国家戦略を打ち出すようなものであり……。

それらすべてを合体したような存在といったらよいだろうか。まさに文化の怪物である。文化という言葉と国名(日本や韓国)が幸福に合体できた時代の、最後の大物であった。

「韓国とは何か」を挑発的に語りかけた

李氏はソウル大学生のときに、すでに天才的かつ鼻っ柱の強い文芸評論家として一家をなしていた。その輝かしい名声は、既存の韓国文壇の旧弊を舌鋒鋭く批判したことから始まった。それは一種の殴り込みのようなものだった。『文学思想』という一時代を画した文芸誌の主幹としては、韓国はもちろん日本でも翻訳されたことがないが、のちに有名になる外国の作家を数多く紹介した。

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彼は学者になってからも象牙の塔に閉じこもらず、一貫して大向こう相手に「韓国とはなにか」という大テーマで挑発的に語りかけた。

彼が東京や京都に長期間滞在して日本と深く交わり、画期的な日本論を書いたのも、反骨精神からだった。人文系の学問をやる重要人物が日本と派手にかかわるというのは、韓国では非常に強い批判の対象となる時代であった。

1988年のソウルオリンピックの開会式もまた、長く語り継がれるべき名演出であった。ここでは韓国文化の本質化がメインのテーマではなかった。確かに韓国の伝統的な祭りや踊りなどが演じられもしたが、それよりも重要だったのは、冒頭に出てきた1人の少年だった。小学生の男の子がたった1人、大きな競技場の芝生のうえに立っている。そして彼はおもむろに、輪回しをしながら芝生を走りはじめる。秋の真昼の太陽がふりそそぐしんとした静寂のなかで、世界中の眼が少年の輪回しに集中する。

国際日本文化研究センターの稲賀繁美・元教授の解釈によれば、これは華厳哲学の一即一切、一切即一(いっそくいっさい・いっさいそくいち:1つの個体は全体の中にあり、個体の中にまた全体があり、個体と全体とは互いに即しているとする考え方)や事事無礙法界(じじむげほっかい:現象世界のすべてのものごとが相互に関連・融合し、そのままで真実の世界を完成していること)という観念の具象化だという。国威発揚の場になりがちなオリンピックの開会式を、このように高度に哲学的なパフォーマンスで飾ったことは、李御寧氏の最大の功績の1つである。

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