「韓国とは何か」を問い続けた「知の怪物」の思考 『「縮み」思考の日本人』著者・李御寧の日韓論
1960年代から今まで、韓国に李御寧氏という知性がいたことによって、この社会はどのような恩恵を受けたのか。あるいはこの知性がもしいなかったら、韓国はどうなっていたのか。大きく変わっていたといってよい。
1つだけ事例を挙げてみたい。20世紀が終わるころ、李氏が韓国社会に向かって打ち上げたスローガンがある。「産業化には遅れたが、情報化はリードしよう」というものだ。この1文には当時、決定的なインパクトがあった。なぜなのか。それは、韓国が日本との関係をリセットするための極めて重要なコンセプトだったからである。
「反日」「克日」を覆した論理
それまでの韓国では、「反日」あるいは「克日」というのが対日意識の二大コンセプトであった。前者は無論、自国を植民地にした日本への憎しみを土台とした感情だが、しかし1960年代以降の韓国が輸出主導の産業国家になるためには、日本にさまざまなことを学ばなければならなかった。この二律背反の価値をアクロバティックに表現したのが、「克日」という語だった。「われらは近代化・産業化するために、日本への憎悪を乗り越えて日本に学ばねばならないが、その困難な臥薪嘗胆を耐えることができれば、将来、日本に克てるはずだ」というのが、このコンセプトの意味であった。
だが李氏は、このコンセプトを根底から覆した。彼は次のような論理を展開した。韓国人は日本を蔑視・軽視して、次のように考える。「日本が東洋でいちはやく近代化・産業化できたのは、それまでの東洋の道徳的世界をいち早く捨て、利に走って西洋化したためだ。韓国は義理を重んじる道徳国家だったから、西洋化において日本に立ち遅れた。もし日本のように功利的にすばやく西洋化したならば、韓国も日本と同じく先進国になれたはずだ(しかしそうしなかった)」。
だがこの考えは、近代・産業化・日本・韓国に関してまったく理解できていない、と李氏は批判したのだ。そもそも近代化・産業化というのは、そんなに簡単なものではない。西洋に学べば容易に身につくなどというものでもない。日本社会は韓国社会と違って、もともと近代化・産業化ができる土台があったのだ。ものをきちんとつくることや、画一的で均質的な規範と統制がそもそも日本は得意で、韓国はそうではなかった。
そのことを、もうそろそろ韓国は認めようではないか。いつまでも、「日本は小利口でずるかったから(東洋からいちはやく脱して)近代化できた」と考えてルサンチマンに浸るのはやめよう。日本社会は韓国社会より、近代化に合っていたのだ。だが、それから100年以上が経った。いまや近代は古い世界観である。これからの新しい1000年は、近代的産業化ではなく脱近代的な情報化の時代である。そして情報化こそ、日本が不得意で韓国が得意なものなのだ。日本人は確かに高品質のものを画一的につくるのは上手だった。
だが、韓国人はこころ(情)のやりとりにかけては世界一といってもよいほど得意である。コミュニケーションがとことん好きで、伝統的な儒教などを見ても、ものよりもこころの領域に長けている。だからこれからの1000年は、韓国の時代なのだ。逆に日本は、ものには強いがこころには弱い。時代思想の逆転がスタートするのだ……。
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