パンデミック前は、日本はフランス人にとって最も人気のある休暇先でした。人々は、国境が再び開かれるのを待つばかりです。寅さんを見にMCJPを訪れた多くの人は、パリにいながらにして、日本を旅することができる素晴らしい方法であると言いました。全話にわたって登場する汽車。寅さんと妹のさくらの駅での別れの場面は、いつも胸を打ちます。そして、別所温泉の小さな駅は、日本の田舎の魅力を象徴しています。
一方、フランス人にとっては柴又のシーンも魅力がいっぱいです。東京の伝統的な場所を訪れるのは非常に楽しく、雑誌『東京人』では、同じく『寅さん』のファンであるP・ワッツとともに下町を訪れました。美術館では、寅さんのスーツや帽子を身につけることもできました。 もちろん、帝釈天にもお参りをしました。流れの速い現代社会では、いつもと違うペースを感じたり、伝統を楽しむことはとてもいいことだと思います。
山田洋次監督と神楽坂との関係
3年前にも柴又寅さんサミットに参加しました。ほとんどの役者さんが舞台に立っていて、彼らが(特にさくらさんが)、自分の人生の一部であるキャラクターについて語るのを聞くのはとても楽しいものでした。
東京では、私は神楽坂に長く住んでいました。ここにも寅さんとのつながりがありますが、知っていますか? 山田洋次監督が『寅さん』の話を書いているときにお世話になったことで有名な旅館「若可菜」があります。
彼は1日中缶詰状態で執筆をして、夜は神楽坂のバーやレストランに出かけていました。私は、ある日の午後、そこで自分の本の結びの文を書く機会を得ました。とてもユニークな雰囲気と思い出です。
最後に、『星の王子さま』で有名な作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉を引用したいと思います。
"Toutes les grandes personnes ont d'abord été des enfants, mais peu d'entre elles s'en souviennent."
(「すべての大人はかつて子どもだったが、それを覚えている人はほとんどいない」)
寅さんはけっしてそれを忘れていないのです。
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