「高校に進学するまでは大学のことを意識することはなかったので、偏差値50程度の学校に入学しました。だけど、1年生の頃に『やっぱり学歴って大事だよな』と思うようになって。田舎だと、それがもうステータスになるんですよね。
それで、なんとなく『医師になりたい』と考えるようになったのですが、入学時に私立文系コースを選んでいたことが災いして、理数系の科目を学ぶことができませんでした。だから、早々に国立の受験を諦め、私立の難関大を受けることにしたんです。『科目数を絞ったほうが、より偏差値の高いところに行ける』という考えもありました。
友達から塾の問題集をコピーさせてもらったり、お小遣いを貯めて赤本を購入して、必死に勉強しました。あと、予備校に通うことはできなかったけど、東進ハイスクールや代々木ゼミナールで模擬試験を受けると、その後、外部生でも模試の解説の講義だけは受けられたので、名物講師の授業を受講できたのはうれしかったですね」
野元さんが通っていた高校は、進学校でもなんでもなかった。ゆえに都内の有名私大を目指す時点で異例中の異例だったが、地道な努力を重ねた結果、志望校に現役で合格することができた。
「合格発表が授業中だったのですが、携帯電話の持ち込みは禁止されていたので、先生の許可を得て、職員室で先生のパソコンで結果を見ることになりました。
ホームページに私の受験番号があるのを見たときは、今振り返っても人生で一番うれしかった瞬間でしたね。先生たちに祝福してもらって、その後、ひとりでトイレに行って大泣きしてしまいました」
大学教授に憧れるも「現実」を知って…
こうして、無事に志望校に合格し、東京で一人暮らしを始めた野元さん。有名私立ゆえ付属校からエスカレーター式で進学してきた富裕層も多く、彼らとの金銭感覚の差に愕然とすることも多かったようだが、引き続き勉学には本気で励んでいたという。
「過去に医者を志したこともあって、文系学部の中でも理系にも重なる心理学を専攻していました。『将来は教授になって、この分野を極めたい』と考える一方で、ずっと勉強漬けでいられるほどの蓄えはなかったので、塾講師、電気屋、マンガ喫茶などでアルバイトをして、月に6万〜8万円は稼いでいましたね」
もともと学ぶことを楽しめる性格だったこともあり、大学教授という職業への憧れを抱いていたが、3年時に大学院への進学を真面目に検討するなかで、いわゆる「ポスドク事情」に気づいていくことになる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら