「発達障害」増加の裏で教師の休職続出が止まない 精神疾患の休職者は1990年から20年間で5倍に

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――発達障害が問題視されるようになった1990~2000年代、学校ではどのような変化があったのでしょうか。

1990年から20年間で、教師の精神疾患による休職者が約5倍になりました。

休職者が伸び始めた1990年後半は、「指導力不足教員」が言われ始めた時期と一致します。行政側は、指導力不足教員をあぶり出すことを1つの名目に、教員への規制を強めていきました。

その1つは、学校の職員会議の位置づけが明文化されたことです。それまで、職員会議は全会一致ではないと決めないといった民主的な議決の場でした。ところが2000年の学校教育法施行規則一部改正によって、職員会議は校長の学校運営を補助する機関に位置づけられ、教員たちの意思決定の機関ではなくなりました。教員への評価が給料に反映される、教員評価制度が導入され始めたのもこの時期です。

教師の自律的な判断力が奪われた

――教員の評価制度が導入されたことによる影響は?

新たな教員評価は、学校への評価と一体で運用される場合が多く、個々の教師に目標達成のための自己管理、目標達成度の自己評価が求められていくこととなります。こうして、子どものためを考えて個々の教師が是々非々で判断する余地は狭められ、教師たちには学校の目標や上位者の判断に対する従順な心性が要求されるようになっていったわけです。

教師の従順さを強化することになったのが、卒業式などでの日の丸掲揚・国歌斉唱の強制です。従わない教師が処分の対象とされ、教師の自律的な判断力がさらに奪われるようになっていきました。

2007年には、教職員免許の更新制度を導入。同じ年に副校長、主幹教諭、指導教諭という役職が新たに設置され、職位による階層化が強化されました。教師たちも数値目標を立て、管理職から評価を受けるという体制が日常化されていきます。

政府は2006年に「教育再生会議」を設置し、教育行政への首相主導が強まりました。地方でも首長が教育長を任命するようになり、教育委員会への首長の権限が強化されていきました。こうして、戦後は民主政治の拠点だった学校は、校長が経営する1つの企業のようになっていきます。

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