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歪んだ歴史観が招いた戦後最悪の欧州安保危機 歴史からひもとくウクライナとロシア

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ウクライナ危機はどうして起きたのか。両国の歴史から考える。

ロシアのプーチン政権によるウクライナ侵略戦争は、ウクライナに新たな悲劇を刻んだ。ウクライナの歴史は、ロシア帝国やソ連の下での、抑圧と忍従、殺害の繰り返しだった。

だが、30年前の独立達成後、ウクライナは独自のアイデンティティーを築き、今回のロシア軍侵攻への抵抗運動で、民族主義の強さを世界に見せつけた。「プーチンの戦争」は、長い因縁を持つロシアとウクライナの最終的決裂につながる。

プーチン氏が「家族の一員」「兄弟国家」と呼ぶように、ロシアとウクライナはもともと、「東スラブ族」として同一民族だった。9世紀後半、キエフを首都としたスラブ族初の国家「キエフ公国」(キエフ・ルーシ)が誕生した。

しかし、13世紀にモンゴル帝国がユーラシア大陸を制圧すると、スラブ族の枝分かれが始まった。東に移動した住民は、モスクワ公国など都市国家を形成してモンゴルを追放。ロシア帝国を築いた。これに対し、ウクライナの地は長年、ポーランド王国・リトアニア大公国の支配下に置かれ、17世紀ごろから言語など独自文化が生まれた。

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