ロシア情勢に詳しい畔蒜泰助氏は、「プーチンの決断の背景には、冷戦終結とソ連邦崩壊後、ロシアが圧倒的に弱かったときに形成された欧州安全保障秩序の在り方を変えるという意思が強く見える」と指摘する。
――ウクライナ情勢については、アメリカや欧州各国との交渉が続けられていた中、プーチン大統領は侵攻を決定しました。
一部では北京冬季五輪終了後というタイミングを狙っていたという見方があるが、それは違うと思う。
8年前の2014年の2月20日前後の状況を思い起こすといい。2014年2月18~20日にかけて、ウクライナの首都キエフで暴動が発生し、100人以上の死者を出した。これは前2013年に当時のヤヌコヴィッチ政権がウクライナ・EU(欧州連合)連合協定の停止とロシアとの経済関係の緊密化を決定したことに、「ユーロマイダン」と呼ばれるデモや抗議運動が始まり、そして2014年2月18~20日にかけて100人以上の死者を出す大規模衝突にまで発展した。
これにより2014年2月22日、ヤヌコヴィッチ大統領が実質的にロシア亡命して政権が崩壊、新政府は親欧州的な姿勢を取った。これが2014年3月のロシアによるクリミア併合、そして現在問題になっているウクライナ東部・ドンバス地域の問題の下地となった。当時のウクライナの政変について、アメリカの支援の下、「違法な政権転覆が行われた」というのがロシア側の認識だ。
“違法な政権転覆”から8年
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