日本人写真家が記録した"戦場"キエフの10日間 包囲された首都で生きる人々の悲痛な日常

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ルキアニフスカ駅周辺、砲撃された地下鉄入り口付近を警備する兵士(写真:筆者撮影)

開戦20日目の3月15日午前5時、中心部から北西に4キロ、地下鉄ルキアニフスカ駅の入り口と周辺のビルが破壊された。制止線の前で兵士はこう言う。

「詳しいことは話せないが、ロシアのミサイルであることは確認できた」

残念なことに人々の不安は的中してしまった。キエフ市のクリチコ市長は3月15日の午後8時から3月17日の午前7時まで、35時間の外出禁止令を発令した。その頃、市民はどう過ごしていたのか。避難の途中で出会った女性に話を聞いた。

乳児を抱え避難した地下室

生後2カ月のカイトを連れて避難したターニャ(写真:本人提供)

キエフで獣医をしているターニャ(34)。彼女は今年1月1日、長女のケイトを生んだ。自宅があるのはキエフ南東部のオソコルキ地区。ロシア軍の爆撃が中心部に迫るにつれ、夜間にも空襲警報が鳴るようになった。その度にベッドで眠るケイトを抱え、歩いて2分ほどのところにある知人宅の地下室に駆け込んだ。それを繰り返すうち、娘は一度泣き出したら止まらなくなってしまった。ターニャは言う。

「この子にとって、とにかく空襲警報の音がストレスだったみたいで。警報が終わっても、ずっと泣きっぱなしということもありました」

商店は次々と休業していった。粉ミルクやおむつなど普通に買えていたものが、手に入りづらくなっていった。ペットの診療に訪れる人も減り、ターニャはクリニックを閉めてドイツへ避難することを決めた。ソーシャルメディアでウクライナを支援する現地の団体を見つけたからだ。

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