日本人写真家が記録した"戦場"キエフの10日間 包囲された首都で生きる人々の悲痛な日常

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筆者が予約したホテルは各国のジャーナリストが集い、取材拠点になっていた。ロシアの戦車が迫り来る北東側の取材から戻った記者がこう話した。

「報道ではロシア軍の位置はキエフまで15キロと言われているが、その後、5キロほど近寄ってきたかもしれない。ウクライナ軍の警備が厳しく、肉眼で確かめられたわけじゃないけど」

現場の取材にはウクライナ軍発行の取材許可証が必要だと、リーダー役のエストニア人記者が教えてくれた。筆者は懇意にしている編集者と連絡を取り、準備を進めた。

相次ぐ砲撃

3月14日、砲撃を受けたオボロン団地(写真:筆者撮影)

開戦19日目の3月14日午前5時、キエフ北部のオボロン団地にロシア軍のミサイルが着弾した。9階建てのアパートが炎上し、住民1人が亡くなり12人が負傷した。

午前11時には、中心部から北に6キロ、集合住宅や商店が軒を連ねるキリビスカ通りで爆発が起きた。トローリーバスの運転手と歩道にいた老人が亡くなった。

破壊されたビルの住人、スタンさん(写真:筆者撮影)

被害を受けた建物の住民、24号室のスタン(56)は飛行機のエンジニア。砲撃の翌日、銃を肩にかけ警備をしながらこう話す。

「プーチンはヒトラーだ。教会が閉まっているので、亡くなった人の葬式もできない」

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